前回に引き続き、雅楽のお話である。
伝統文化全般に言えることだろうが、現代では雅楽に興味を示す人は決して多いとはいえない。
だが今でも、大阪・京都・奈良界隈には、古来からの由緒ある演奏組織が点在している。古都ゆえ大規模な寺院・神社も多く、演奏される機会が多かったためであろう。
だが新規の若手奏者は不足しているのが現状で、そんな中、とある雅楽の演奏団体からお呼びがかかったのだ。学園催や過去のバンド活動などを含めた、私の様々な音楽経験を見込んでのことだった。
だが正直なところ、雅楽はポップスとはかけ離れた世界であり、ガツンと来る刺激的な表現をしたい私としては、最初はあまり気が乗らなかった。雅楽には地味で大人しい印象を持っていたし、格式を重んじて融通のきかない在り方も敬遠の一因だった。
しかしその一方で、雅楽の現実離れした世界観や、陰陽師、呪術を連想させる雰囲気には何か惹かれるものもあった。また日本の伝統を受け継ぐことも大切だという気持ちもあったので、少しでも役に立てればと思い始め、一念発起して加入することにしたのだ。そんな経緯があり、『井戸水』の作曲当時の私は、地域の神事や葬儀等で演奏活動を行っていた。
私の担当楽器は、管楽器の一つ「鳳笙(ほうしょう)」である。簡単のために、笙(しょう)と呼ばれることが多い。これは特殊な楽器で、雅楽の中でも特に成り手が少ない。笙、と言われても最初は私も全くピンと来なかったが、その音色は多くの人にとって聞き覚えがあるだろう。こちらの動画は笙の独奏である。
参考動画 - 【雅楽 笙】壱越調 調子 三句 / 笙奏者 大塚惇平お聴きのとおり、神秘的な音色を奏でる楽器だ。私は以前からバッハのパイプオルガンの楽曲が好きでよく聴いていたのだが、響きに共通したものが感じられ、一気に好きになった。
鳳笙の外観は、17本の筒状の竹を円形に並べたかたちになっている。いわばパイプオルガンを小型化してポータブルにしたような楽器だ。実際、鳳笙はパイプオルガンやアコーディオンの原型ともいわれている。それぞれの筒にはリードという部品が装着されており、筒に空気を送り込むことでリードを振動させて音を出す。この原理はいずれの楽器でも共通しているのである。
なお歴史的な経緯から、現行の笙では音が出るのは17本のうち15本で、2本の竹は無音となっている。これらの竹のうち通常5~6本を同時に鳴らし共鳴させることで、あの不思議なサウンドを作り出す。
竹の組み合わせは11通りあり、「合竹(あいたけ)」と呼ばれる。「乞・一・工・凢・乙・下・十・十(双調)・美・行・比」という具合に、漢字で表記されるのだが、これらの文字が並んだ譜面は、楽譜というより呪符の様相を呈している。
合竹は、西洋の音楽理論でいう「コード」「和音」に相当するが、どれも特異な響きで、普通のポップスでは到底使えるものではない。だが普通ではないポップスを目指していた『井戸水』にとっては、この現実世界からかけ離れたような幽玄なサウンドが最適だったのだ。
コードに劣らず奏法も独特だ。まず一つの小節の出だしは小さな音量で吹き始め、小節の末尾に向けて段々と大きくしていく。その小節の最後の拍の頭で最大音となり、直後に音量をやや減衰させ、大き過ぎず小さ過ぎずの絶妙な音量を保ちながら次の小節に入る。これを基本パターンとし、曲中で延々と繰り返す。曲の開始から終了まで、一時も途絶えることなく鳴らし続けないといけない。
管楽器を演奏したことがある方なら、ここで一つ疑問が浮かぶかもしれない。
「息継ぎはどうするの?」
実は笙のそれぞれの竹は、息を吹き込む際も吸い込む際も同じ音程で鳴るようになっている。なので厳密には息継ぎという概念がない。ただし、息を吹くか吸うかはこと細かに楽譜に記載されているので、自分の好きなタイミングで吸ったり吐いたりできるわけではない。
例えば、1小節目はまるまる吹き、2小節目はまるまる吸い、3小節目も続けてまるまる吸い、のように指定されている。演奏中、吸って吸って「もうこれ以上吸えない!」という時も、譜割りによっては更に吸わなければいけない場合もある。逆に、吹き続けた後、「今吸いたい!」となってもまだ吹き続けるよう指定されていることもある。嫌がらせのような譜割りだが、その通りに演奏しなければいけない。これは結構キツい。
まあそんな内情はともかくとして、途絶えることのない一貫した流れの中で、音量を徐々に微妙に変化させ続けるという芸の細かさにより、曲全体を神秘のオーラで包み込む。笙の音色は「天空から降り注ぐ光」と形容されることがある。まさしく太陽光が地球全体を遍く包み込み、全生物を育成させる天の恵みであるように、笙も空間を隅々まで満遍なく埋めるが如く、途絶えさせないのが特徴である
では改めて、笙の音色にも留意しながら『井戸水』をお聴きいただきたい。曲が始まって6秒後に笙の演奏が始まり、Cメロやブレイク箇所を除くほぼ全ての場所を通じて鳴っている。繰り返される音量変化のため、笙の音がよく聞こえる箇所や殆ど聞こえない箇所が存在し、曲全体に絶妙なゆらぎを与えている。
分かりやすくするために、他のコード楽器等を省いたバージョンもご用意した。機械合成ではない生感の漂う、微妙な共鳴音を感じていただけるだろうか。
このように、鳳笙は実に特殊な楽器であるが、その音は特段目立つわけではない。この密かに鳴っている様が、『井戸水』の妖しい雰囲気を高めることに貢献したと感じている。つづく
次回更新日は 7月30日(金)