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2021年11月26日

楽曲解説 『修行僧』 第4話 - 集結

今回で『修行僧』解説は最後となるが、ここで本曲のミュージックビデオについて少し語っておきたい。

制作のきっかけとなったのは、配信サイトとカラオケチェーン店の共同企画で、インディーズアーティストの曲を一般のカラオケ店でも配信して歌えるようにするという、当時としては画期的なものであった。あれからもう何年も経つが、この「カラオケの鉄人」というチェーン店のサイト上で検索すると、今でも本曲はヒットする。店舗の所在地は関東圏で、実際に店舗で歌えるのかどうか私たちは確認できないのだが、ご興味のある近隣の皆様にはぜひ一度お試しいただきたい。

修行僧mv 00:10さて、現在はYouTubeで公開しているこのビデオであるが、サムネイルはご覧のとおり、険しい山岳の画像に行書体フォントで『修行僧』とある。いかにも厳つい修験者が猛烈な修行に勤しむ様子が連想されそうだ。
ところが曲が始まれば、テクノサウンドと共に、ポップな絵柄のアニメーションやイラストに切り替わる。
かと思えば、私のラップとギターが演奏されている箇所では、厳つげな実写画像の数々が迫り来る。
そう、ここでも楽曲と同様、キュートとダークという対比構造が存在している。

ちっぴパートに登場するイラストは、当時女子中学生だった毒ラズベリーさんという方に描いていただいたものだ。可愛くも空虚さのある表情でドリーミーな雰囲気が漂っており、とても気に入っている。

一方、貞子パートは全て実写である。猫の写真、祠(ほこら)の写真など様々なものがあるが、私の姿が写っているものは、2008年に撮影した。この年はライブ活動で多くの場所に出向いたため、様々なシチュエーションでの写真が多く残っている。

中でも一推しは、ギターソロで使用しているものだ。ネオン街の一角で、私が情熱的にギターをかき鳴らしている。ここは「ミナミ」の中心地で、深夜でも多くの人々が行き交う場所だが、人影が途絶える瞬間を狙って撮影した貴重なものである。なおミナミとは、大阪市中央区、浪速区、天王寺区などを中心とした街の総称で、オフィス街を主体としたキタ(梅田)と対照的に、歓楽街を主体としたエリアとなっている。
ちなみに本学園においては、深夜の行動はもちろん、繁華街に出向くこと自体推奨されない。この日は音楽活動と校外学習の一環として、特例であったことを付け加えさせていただこう。

また、実際のライブ会場で演奏する画像もある。これは知り合いの歌手のライブに、サポートメンバーとして参加した時のものだ。私は「学生陰陽師」というコンセプトのステージファッションで登場した。夏服の学生服を着てギターには呪符が貼り巡らされているという、そもそもどこに行っても注目を浴びてしまう出で立ちであったが、会場は心斎橋の高級ライブハウスで、紳士的な大人のムードが漂う空間であったため、とんでもなく異彩を放っていたに違いない。

そして電話中のシーンや鏡の前でポーズをとるシーンは、当時出演させてもらったポップカルチャーイベントでの控室で撮影したものだ。イベント全体の主催者は何と「関西国際空港株式会社」で、後援には近畿運輸局・大阪府・大阪市などの行政機関も並び、とてもお固いイベントかと思いきや、そのコンセプトは「オタク文化を関西空港に集結させる」であった。
実際に行ってみると、空港はとても綺麗で斬新なデザインの建造物が多く、私好みの場であった。空港全体がイベント会場となっており、あちこちで複数の催し物が同時開催され、まさにお祭り騒ぎだ。結果、空港内は無数のコスプレイヤーやステージ衣装を着けたままの出演者に占拠されてしまっていて、本来の空港利用客がどこにいるのか分からなくなるほどであった。機能的でシャープな構造の建屋と、集結した色とりどりのコスプレイヤーが不思議と融合し、現実離れした空間を作り上げていた。
私も学生服に呪符ギターを携え、顔が全面隠れるバイザーを装着して付近を散策した。ここは世界的な空港であるため、普段は警備も非常に厳しい。本来ならこのような格好で歩こうものなら直ちにセキュリティから声がかかるだろう。しかしこの日ばかりは当然お咎めなしで、とても貴重で楽しい体験であった。

このように歓楽街・高級ライブハウス・国際空港へと赴き校外学習を行ったわけだが、これらは「人生の修行」でもあるため、当時の写真を『修行僧』のミュージックビデオに収めた次第である。
アニメーション部分も加えた全体として、バラエティーに富んだ構成になったのではなかろうか。

さて、本曲の解説はこれにて完結だが、ここで一つ連絡事項がある。
12月の楽曲解説はお休みをいただき、代わりに、現在制作中の楽曲についてアナウンスする予定だ。タイトルは『走馬灯』。この季節にぴったりのスローでアンビエントな曲調であるが、エレクトリックな彩りが満載で、賑やかさも感じられる筈だ。

ではまた来月お会いしよう!

2021年10月26日

楽曲解説 『修行僧』 第3話 - 執着

さて、今回は曲名に関するお話である。
「修行僧」というからには仏教がテーマの曲かと思いきや、実は「ミニマリスト」の世界について語っている。ただ、この曲の作曲当時にはまだ、ミニマリストという言葉はあまり一般的ではなかった。私がこの言葉を知ったきっかけは、私自身がミニマリストに近い生活を経験したことだったのだ。

その頃、自宅の改築のために、少し離れた場所で三ヶ月ほど仮住まいをすることとなった。それほど長期間ではなかったので、生活に必要な最小限の物だけを持っていくことにした。実はそれまでの私は、物を持つのが好きな性分だった。コレクターというほどではないが、インテリアに凝っていて、フロアランプや絵画、オブジェ、もっと以前には洋風の人形なども部屋に飾っていた。また日用品や食器なども各種揃えており、その日の気分により使い分ける、といったこともしていた。

そんな私だったが、引越の労力を省くために、今回はそれら全てを倉庫にしまい、仮住まいには持っていかないことに決めたのだ。だが次第に、自分の楽しみや趣味を自ら封印してしまうのか?という空虚感や、部屋があまりにも殺風景になる寂しさに耐えられるだろうか?という不安が襲ってきた。

ところが、実際にこの最小限の生活が始まると、意外にも何ともなかったのだ。それどころか、その身軽さに爽快感をおぼえる程だった。インテリアのない部屋にも寂しさは感じず、むしろ作業に集中し易くなった。物に囲まれてない方が心が豊かになるという、逆説的な感覚だ。今までの自分が、いかに必要でない物を数多く持っていたのかを気付かされた。豊かさとは何か、ということを改めて考えさせられた出来事であった。

そうすると、自分の他にも同じような体験をした人が居るのかが気になり始めた。実際にネットや書籍等を調べると、簡潔な生活スタイルを志し、徹底してる人々が大勢存在していることが分かった。
彼らの中には、元から整頓を美学とし完璧主義を貫く根っからのミニマリストもいたが、大半はかつては片付けられない、または大きな物欲を抱いていた人達だった。そういう性分を正す為にミニマル生活の道を選び、見事な生まれ変わりを果たす、という経緯を辿っていたのだ。

物を減らすということは、執着を減らすということだ。それによって無益な欲望が減り、軽やかに生きられるようになる。まさに修行僧の目指す境地ではないか!
私はそれまで、執着を取り去るためには、瞑想など特別な修行を特別な場所でしなくてはいけないと思っていた。勿論それも一つの手段に違いないが、ありふれた日常の「物を整理する」という行為からも、性格や思考癖を改善できるのだと気付いた。世の中には、一見無関係と思える物事に解決の糸口があるものだ。それを再度認識させられた。


一方、私自身の変化はどうであっただろうか。かつてはガチガチの体育会系の環境で生きて来たので、上下関係に対する強い拘りを持っていたのだが、仮住まいが始まって以来、その意識は変わったように思える。他者への対応も以前より温和になったと感じた。ちっぴにも、以前より優しく接していけるようになったと思う。もちろん元から優しく接していたが、更に優しくなれたと思う。いずれにしても、物の少ない生活からは様々な心理効果が得られるということを実感できた。
そしてこの体験を楽曲で表現しようと、『修行僧』の制作が始まったのだった。

結局、仮住まいが終わり自宅に戻ってからも、必需品以外の倉庫の物を部屋に戻すことはほとんどなかった。
これを機に実用性のないインテリアや不用品を処分し、かなりスッキリした生活スタイルに改善した。装飾品は心の豊かさに繋がるが、やはり掃除が大変でもある。物によっては複雑な形状をしており、掃除だけでも一日仕事になったりする。折角の癒し効果も、掃除のストレスが上回ったり、本業にかける時間が削られたりするようでは帳消しになる。掃除の手間を厭わず楽しくできるという人でなければ、インテリアを持つ資格がない、と考えることにした。

とはいえ私は、完全なミニマリストになった訳ではない。そもそも私の場合、それは難しい話である。なぜなら室内には、楽曲制作のための楽器やエフェクター、スピーカーその他の多くの機材が置かれ、ケーブル類の配線も無数に張り巡らされているからだ。音楽を作る活動自体が、物のない生活とは対極に位置する。なのでミニマル完全主義は断念したのだった。
私が減らすべき物とは「ストレスの要因」や「本業を邪魔するもの」であって、そうでないものを無理に減らす必要はない、という結論に至った。

物が多過ぎてそちらに意識と手間が取られるようではいけないが、無理してあまりにも物を少なくしても、却って生活し辛くストレスに感じてしまうなら本末転倒だ。何事も中庸を保つことが理想である。
物に執着することなく身軽に生き、今あるものに有難みを感じる。これこそ精神修行の在り方だ。『修行僧』とは、そんな思いを込めた曲である。
つづく

次回更新日は11月26日(金)

2021年9月24日

楽曲解説 『修行僧』 第2話 - 紆曲

テクノポップ部分とハードロック部分のメリハリを極限まで強化した『修行僧』。今回は、そのための工夫をいくつか紹介していこう。

まずはテクノポップ部分だ。主に四つ打ちのダンス系ビートで構成されているが、ハードロック部分との対比を考慮して、あまり派手過ぎるサウンドにはならないようにしている。また本学園の楽曲は基本的に、ダンスミュージックとして大勢で踊って楽しめるように制作しているが、逆に部屋で一人聴き込んで非現実的な世界に没入し、癒し効果を得ることも想定している。よって過剰な高揚感は避けるべく、音色選びにはかなり気を遣った。 

一例として、イントロを始めテクノポップ部分の大半で鳴っている効果音も控え目な音色と音量になっている。これはスクウェアウェーヴ系の音色だが、トゲトゲする程まで高音域を強調せず、あくまで伴奏に徹する意識を心掛けて作った。ご興味のある方は、2:17~2:21の間では聴き取り易くなっているので確認していただければと思う。


ドラムパートについても工夫を凝らしている。本物のドラムセットでは、曲の途中で個々の楽器を入れ替えることは難しく、一曲を通じて同じ音で鳴らすのが一般的である。だがここは打ち込み音楽の特権で、学園催の曲では複数の種類を場面に応じて使い分けることがよくある。

今回のテクノポップ部分では、特にオーソドックスで電子音楽に適した分かり易い音源を選んだ。ここは機械的であればあるほど良い。一方、ハードロック部分は正反対の要素、つまり生バンドサウンドの再現を試みた。これにより機械的vs人間味、というコントラストを強調している。

ハードロック部分のドラムは、生ドラムをサンプリングした音源から厳選したのだが、より気を遣ったのがその鳴らし方だ。
生身の人間が実際にドラムを叩く場合、どうしても均等に演奏することはできない。音の強弱やタイミングには必ずバラつきが出てくる。特にスネアドラムではスティックが当たる場所によっては音色までも変化する。こういう不均等さこそが人間味であり、バンドサウンドの醍醐味と言えるだろう。

この曲ではそういった要素をなるべく再現するよう試みた。もちろん私はドラマーではない。だがかつてのバンド時代には、スタジオ練習の休憩時間に時々ドラムを叩かせてもらって、一応の感覚を掴んでいた。それをヒントに、より人間に近いプレイを想定して音符を打ち込んでいったのだ。かなり面倒な作業になったが、その効果は十分に出ていると思う。
 

次に、ハードロック部分のギターリフである。お聴きのとおり、なかなかのヘヴィな仕上がりだ。
チューニングは通常のレギュラードロップDチューニングだが、それ以上の重厚感を演出するため、少々意外ともいえる弾き方をしている。

通常このようなヘヴィーリフを弾く場合は、低音の6弦5弦を同時に鳴らし、分厚さを稼ぐものである。これはパワーコードと呼ばれ、ハードロックやメタルにおいては定石的な奏法である。
私も最初は、このリフをそのように弾いていた。だが、自身でイメージしているほどの厚みが出ていない。頭の中の完成図ではもっとガツン!と来ているのに、なぜだ……。

何とかそのレベルまで引き上げるべく、弾き方を変えつつ何パターンか録音しては聴き比べる、という試行錯誤を繰り返したところ、ある手順で弾いたフレーズに厚みが増して聞こえるものがあった。
それは6弦と5弦を、常に同時に弾くという従来のパワーコード奏法ではなく、時折バラけさせて弾くアルペジオのような奏法を織り交ぜるというものだった。

アルペジオ的奏法は本来、音を軽くする筈なのだが、何故かヘヴィーに聞こえるという…。この矛盾にも思えるようなこの現象が起きた理由は、明確には分からない。だが実際、分散して鳴らした音の残響が、共鳴するかのように重厚感を演出してくれたのだ。このフレーズ、このサウンドセッティング、他の楽器との兼ね合いといった様々な条件が、たまたま重なったのかもしれない。

ともかく試行錯誤すること自体の持つ重要性を再確認できた。何かしら糸口は見付かるものだ。ことに音楽は正解のない世界と言われているので、より意味があると思う。このような経緯で、本曲のギターリフは出来上がっていった。つづく


次回更新日は 10月29日(金)

2021年8月27日

楽曲解説 『修行僧』 第1話 - 両極

作曲/編曲/作詞:中宮貞子女帝
作曲開始:2007年
楽曲発表:2009年
Key=Eメジャー

今回解説する『修行僧』は、私にとってかなり意味深い曲である。私個人としては、学園催の曲の中での再生回数は最も多いだろう。
何故それほどまでに思い入れがあるのか?

学園催の世界観の一つに、「相反する世界の融合」がある。これを具現化したものが、「ダーク&ヘヴィー vs キュート」という、両極の要素を包括したテクノポップだ。
この形態を採用している学園催の曲は、いくつか存在する。本曲をはじめとして、自閉症・清水寺・河原町・新学期などがそれである。いずれもハードロックに、ダンスやトランス等の要素を組み合わせたテクノポップで、基本的な構成は共通している。
どの曲も気に入っているが、特に『修行僧』では、そのメリハリが極度に強化されている。特筆すべきは、徹底的に攻め込むラップとヘヴィなギターリフの勢いで、ポップな部分とのコントラストをより際立たせている。

実はこれは、私が長年実現したかった音楽形態である。別々のジャンルの音楽を融合しようという構想は、バンド活動を始めた頃から既に持っていた。
私は昔から、ギャップやコントラストのあるものに心惹かれてきた。「飴と鞭」「陰と陽」など、相反する性質のものが同居しているという感覚が好きだったのだ。そこで、可愛らしいポップサウンドの直後に畳み掛けるように襲って来るヘヴィーでラウドなロックサウンド…これが成立したら相当愉快だろうな、と想いを馳せ、そういう曲を時々作っていた。
尤も当時は普通のロックバンドで、楽器と言えばギター・ベース・ドラム以外は考えられないというような環境で活動していたので、テクノ系の楽曲を演奏することはなかった。それでも、いつかは演ろうという思いで作曲だけは続けてきたのだった。

このようにギャップ好きだった私だが、そのこだわりは本学園が開校されてから更に強固になった。
というのも、「学校」とはコントラストの極致ではないかと感じているからだ。
学校は、生徒達が集まり「授業だ、休み時間だ、給食だ、部活動だ」という様子で賑やかな場所ではある。だが一旦皆が下校すると、その賑やかさが嘘であるかのように静まり返り、霊的なものが漂うかのような静寂が訪れる。なんとも強烈な陰と陽である。日中が賑やであればあるほど、夕方以降の静寂がより心霊的な雰囲気を感じさせる。
それが証拠に、いつの時代も学校には怪談や都市伝説的な話が付きまとっているものだ。霊を信じる信じないに関わらず、誰もが感じたであろうあの空気感。「陽」が強いほど「陰」の話も、よりスリルと深みが増す。
学校は最高に賑やかな場であり、最高に寂しい場でもあるのだ。同じ場所なのに、その様相は極端に変化する。まさに学校は、この陰陽を表す恰好且つ最高の舞台である。

そのような思いから、長年の構想が「ダーク+ キュート = 学園催テクノポップ」として、遂に実現したというわけだ。(つづく)

 

次回更新日は 9月24日(金)