2020年12月25日

楽曲解説 『新学期』 第1話 - 休暇

作曲開始 2003年
Key = Gメジャー
皆さんは、「新学期」という節目をどんな心境で迎えていただろうか。ワクワクしていた?億劫だった?あるいは特に何も感じなかった、という向きもあるだろう。
私はといえば、期待や緊張、そして憂鬱といった、相反した色んな感情が入り混じって、平常心を乱すものであった。

例えば新年度のクラス替えでは、気心の知れた面々とは離れて新たな顔合わせとなり、余所余所しい雰囲気が漂う。イチからまた友人関係を構築しなければならないのか、と前途多難な気分になったものだ。
また、長い夏休みが明けた二学期の初日は、急に現実に引き戻されるような強烈なギャップを感じずにはいられなかった。久々に会うクラスメイトに対しても、妙な照れくささがあったりした。

こんな具合に、私にとってはあまり心地の良いものではなかった新学期だったが、苦手意識を持ち続けるのは建設的でない。子供心にも、この節目の意義を何とか見出そうとしていた。そこで先ず気付いたのは、憂鬱な気分でいるのは最初のほんの一週間程度だということだ。すぐに慣れてきて、何事もなかったかのように、いつもの日常に戻るのである。

ただしこれは、自動的にそうなるわけではなく、本人なりにある程度の工夫や努力をした結果でもある。この居心地の悪さを何とかしたい!という思いが、学校生活を平常に戻してくれるのだ。そしてこのような経験は、何かしらのメンタル面における能力を鍛えることに繋がるかも知れない、と考えるようになった。
今後の長い人生において、それこそ幾度もの大きな環境変化が訪れるだろう。だから今は、その都度上手く対処出来るようになるためのトレーニングをしているのだ、と。

もっと言えば、「学校」という場所そのものも、単に学力を磨くだけの場所ではなく、人生に於いてもっと大切な何かを身につける為の場所なのだ、とも思うようになった。今でもそれは変わらない。この時代、もはや授業や勉強は殊更学校に集まらなくとも可能になったが、それでも学校には重要な意味があり続けるだろう。

私はこのように、新学期から大切な気付きを得ることができた。 それは次のステップへの試練であり、気持ちの切り替えを体感する時でもあり、人生の中の大きなイベントだと捉えるようになったのだ。

これらを踏まえ、『新学期』というタイトルを持つ本歌曲のテーマは、「新陳代謝」とした。
細胞が古いものから新しいものに入れ替わるが如く、気持ちを入れ替える、心機一転について歌っている。長い休みが明けて、久々に登校した時の気持ちの変化や心理模様、それに伴う精神性の向上の様子を描いたのである。
では、このテーマをどのように音楽に反映させていったか。次回、具体的に語っていく。

(つづく)

次回更新予定日は 2021年1月29日(金)

2020年11月27日

楽曲解説 『映写機』 第3話 - 想像

歌曲『映写機』の最終回は歌詞について語ろうと思う。
曲そのものは1997年に完成したのだが、歌詞はその二年前から書き始めていた。テーマは「イメージトレーニング」、略してイメトレである。この頃の私は、仏教哲学やヨガ、瞑想への出会いがあり、師事や独学によって日々研鑽を重ね、精神世界の面で転換期を迎えていた。ヴィジュアル系バンドを組んでいたこの時期に、およそヴィジュアル系とは程遠い世界観に浸っていたのだ。

一般的に「イメトレ」という言葉は、主に二通りの意味で使われているように思う。
一つは、スポーツ選手や演奏者などが、本番前に自分の動きを心の中で思い浮かべることによって再確認する「イメトレ」。パフォーマンスの向上が目的となる実用的なものだ。
もう一つは、いわゆる「引き寄せの法則」で用いられる、願望を実現させる為に行う抽象的な「イメトレ」で、本曲ではこちらをテーマとしている。

ご存知の方も多いかもしれないが、世間では願望実現に関する自己啓発本が多数出版されている。その多くが「鮮明なイメージを持てば願いが叶う」という系統のものである。
私もこういった書籍に何冊か触れたことがある。かなりスピリチュアルな視点で書かれており、夢があって楽しいものだと感じた。
確かに、鮮明なイメージを持つことには一定の効果はあるだろう。実際、イメージを持たずに何かを実現することは難しい。というより誰しも、事を運ぶ前には必ず、何かしらの想像はしている筈だ。世に出ている多くの啓発本の主旨は、より細部に渡って鮮明に・克明に想像することで、イメージを意識の奥深い領域にまで浸透させ、実現度合いを更に高めるというものである。

時に小説やドラマなどでは、イメージしたことがそのまま実現したりするが、これはあくまで空想の世界の話。我々の住むこの現実世界では、物理的な制約から逃れることはできず、イメージが即、具現化することはなかなか無い。
例えば、「ピザが食べたい」と思ったとする。そこで、部屋から一歩も動かずに「ピザが目の前に現れた」と鮮明なイメージだけをしたところで、実際にピザが目の前に現われてくれる確率は非常に低い。やはり、店に電話注文する、とか、友達に頼んで買って来てもらう等々、何かしらの最低限の「行動」は必要だ。

世間には「イメトレだけで夢を叶えた!」という人達も存在しなくはない。だが彼らも知らず知らずのうちに適切な行動が出来ており、その結果、夢の実現に辿り着いたという経緯がほとんどだろう。鮮明なイメトレは、実現へ向けてのモチベーションが上がったり、適切な判断力が身に付き、成功の確率を高める役割を果たしたと考えられる。やはり行動こそが、願望実現の要である。

【ЖД璃 υф 零δч】×2 times 何からはじめよう
【爬狸υΦ ЯДδёё】×2 times 今すぐはじめよう

思い立ったその時が最適な瞬間
さあ出かけよう
頭の中をグルグル廻る
夢と現実交ぜてスクリーンに映して
これは歌詞の前半部である。
「夢と現実交ぜてスクリーンに映して」、つまり頭の中で描いてるだけではなく、それを現実世界に投影せよ、と。行動に移すことを勧める、積極的で能動的な内容となっている。

一方、後半部の歌詞はこうだ。

【ЖД璃 υф 零δч】×2 times 何からはじめよう
【爬狸υΦ ЯДδёё】×2 times 今すぐはじめよう

自分らしさをそのまま吐き出し
さあ演じてみよう
あたしの中でつくり出す台詞
世間の発言には過剰に反応しないから
こちらは内向的な要素が主体となっていて、思考の重要性について語っている。
物事を実現させるには行動が必要ではあるが、逆に、実現しなくとも構わない事柄ならどうだろうか。夢や目標は必ずしも全て実現させなくて良いのではないか?特に行動に移すこともなく、空想だけを楽しむという世界観も在っていいのでは?というスタンスだ。

「夢は見るものではない、叶えるものだ」という言葉がある。しかし、「夢は叶えるものではなく、見て楽しむものだ」という考え方もアリだと思うのだ。実際叶えてしまえば「何だ、こんなものか」ということも多々あるだろうし、想像してるだけの方が余程楽しめるというものも沢山ある筈だ。何でもかんでも実現させるだけが能では無いと思うのだ。

ただしこれは別に、消極的になれ!と言ってる訳ではない。目標や夢の実現は、自分にとって最重要なものだけに一点集中させ、そこに全ての力を凝縮・活用し、あとの夢は空想として楽しみ、ストレス解消の嗜みに充てるというポリシーも、面白い生き方だと思えるのだ。勿論、空想だけに没頭し完全に現実逃避してしまってはいけない。だが時には、空想に思いを馳せ、癒しのひと時を過ごすのも良いものだ。


次回更新予定日は 12月25日(金)

2020年10月23日

楽曲解説 『映写機』 第2話 - 移調

前回は日本のヴィジュアル系について熱く語り、本歌曲制作に至るまでの経緯をお話しした。
さて過去にヴィジュアル系バンドで演奏していたこの曲を、リメイクする際に持ち上がった問題、それはキー(調)に関することである。
作曲時のキーはAmであった。

ギターを弾く人ならご存知かと思うが、Amキーでは指で押さえる必要のない弦、「開放弦」が出てくる。このため自由度が高く、開放弦ならではの奏法やハーモニクスを駆使したプレイ、トリッキーなリフや伴奏が可能になるのだ。
そもそもロックというジャンルは、ギター有りきといっても過言ではない。開放弦で演奏できることを条件に、曲のキーを決めるケースが非常に多くなる。逆にいえば、開放弦が使えないようなキーの曲はごく僅かなのだ。


そんなわけで私はこの曲を、バンドで演奏していた当時のキー、Amのままでリメイクするつもりだった。
ところが、学園催は女性ヴォーカル。元々男性が歌っていたこの曲を、女性が歌うとなれば少々低い。もちろん頑張れば歌えなくもないが、せっかくのちっぴのキュートさや明るさが生かされなくなる。本人からも、歌いにくいのでキーを上げたいという要望が出た。

普通ならここはすんなり、じゃあキーを上げましょう、となるのだが、今回はそう簡単にはいかない。なぜならこの曲は、キーを変えるとギターの開放弦が使えなくなり、ギターフレーズの自由度が大幅に制限されてしまうのだ。この曲はAmで演らないと、ギターが全く生きてこない。しかもヴィジュアル系バンドで演奏してきたこの曲は、ギターこそが花形である。ここは中々譲れないものがある。

しかし、ちっぴはC#mまで上げてほしい、と言うのだ。カラオケで言えば [+4] のキー変更である。
よりによってC#mだと!?この曲におけるC#mへの移調は、非常に嫌な選択となる。あのトリッキーで軽快な数々のプレイが全てお預けとなる上に、弾きにくくなるのだ。Amのままなら踊り狂うが如きギターフレーズの数々が、全てお預けとなってしまう。これには我慢ならない。

「俺は、C#m絶対反対!」
「あたしは、C#m大賛成!」

と、互いになかなか譲れない。ともあれ、対策を考えることとなった。


ギターにおいては、Amキーと同一の指の動きで弾きながら、C#mキー上の旋律を得る方法はいくつかある。うまくいけば、ギターは開放弦が使え、歌も歌いやすくなり、万事丸く収まるわけだ。

まず一つは、デジタル処理だ。原曲通りAmで弾いたものを録音し、その後コンピュータで音程を上げるというものである。だが結果としては、ギターの音質がかなり変化して、チープなサウンドになってしまった。効果音的に使うなら面白いかもしれないが、一曲を通してこれが鳴り続けるのは聴くに堪えない。むしろギターを原曲キーで弾きたいが為の悪あがきにも思えてきた。
他には、エレキギター用のカポを使う方法や、チューニングを下げる方法もある。試してみたが、いずれも音質の変化が著しい。片や軽すぎ、片や重すぎとなり、満足できるものにはならなかった。やはり+4のピッチ操作を違和感なく行うのは至難の技である。

ギターが変えられないなら、いっそのことヴォーカルのメロディを変えてみようか、という考えすら浮かんだが、さすがに無理がある。


紆余曲折の末、やはりここは回りくどいことは抜きにして、素直にC#mに移調して弾き直すのが妥当だろうという結論に落ち着いた。私も遂に観念するしかなかった。

とはいえ、実のところ、私はその少し前の段階で、C#mで弾き直すという方針でも良いか、という思いに変わりつつあったのだった。なぜなら学園催はハードロックバンドではない。テクノポップを主体としたグループなのだから、歌を主役にすべきなのだ。
私は元々ハードロック出身なので、どうしてもギター主体で考えてしまいがちなのだが、ここでロックギターの道理を通すのは場違いとなる。ましてや歌い手は女性。そのキュートさや明るさを前面に出す為にも、ヴォーカルに合わせたキーや演奏を優先するのが望ましい。

そして何より大きな理由となったのは、大抵の人達は、ギターに特段の興味を持って聴いてはいない、という現実だ。頑張って弾いたところで、どんなに技巧を凝らしたところで、うるさいと思われては意味が無い。特にポップスでは、もはやギターはバッキングの一部分という認識しかされていない。それが今日のギターの宿命であろう。

むろん演るからには、いつも一所懸命に弾く所存ではある。ただ、今まで抱いていたハードロックギターの概念や位置付けには、あまり拘らないでおこう、と考えを転換させた。そして私はC#mへのキー変更を決心したのだった。


そうはいえども、その当時は仕方なく渋々での変更であった。
だが実は、これで良かったこともある。

開放弦が使えなくなることで、まず演奏が控え目になる。原曲キーで演奏していた当時は、ギターが目立ち過ぎて歌が脇役となっている感があった。ハードロックバンドにおいては、それも演出の一つとして認知されていたものだが、テクノポップの学園催では少々よろしくない。
それが今回、ロックギター特有のガツガツした主張が軽減され、より歌声が際立ってきたのだ。

また、移調により手間のかかる奏法を余儀なくされることで、華やかさはなくなったが、シンプルでありながらも、重厚感のあるサウンドになったと感じられるのだ。これはなかなか、一種独特の聴きごたえである。ギター好きの人達には、ちょっと面白みのあるフレーズだと感じてもらえるかもしれない。
余計な装飾を削ったことで、ヴィジュアル系バンドで演奏していた当時よりもスッキリしつつ、純粋なヘヴィーさや疾走感が増している。

これらが積み重なることで、全体的な仕上がりとして、ロック調でありながらもロック真っ只中ではないという、独自性の高いサウンドが完成したのではなかろうか。


今回の制作では色々な学びがあった。それまでの自分の流儀を通すことだけが能ではないと悟ったのだ。私はいつも、妥協あってこそ良い作品が生まれる、という考えを持っているのだが、この歌曲では、それが如実に具現されたと思っている。


次回更新予定日は、11月27日(金)

2020年9月25日

楽曲解説 『映写機』 第1話 - 化粧

作曲開始1997年
Key = C# マイナー

この楽曲の原型が出来上がった1997年頃、私はヴィジュアル系バンドを組んでいた。当時のヴィジュアル系は、大きくは二つの方向性に分かれていた。主流となっていたのは、美しさを前面に押し出すものだ。そしてもう一方では、ホラー要素が強く、恐怖感を煽るようなバンドも存在した。私のバンドは当然、後者である。

ヴィジュアル系の発祥は80年代で、かつては「お化粧系」、「お化粧バンド」などと呼ばれていた。見た目が一番のウリだと思われがちなのだが、実は、ライブハウスシーンにおいては、音楽性や演奏力において非常に優れたバンドが多かったのだ。
中性的なルックスとは裏腹に、演奏ではハードロックやヘヴィーメタル、或いはパンクロックやグランジ等の、攻撃的なジャンルを基調としたハードなサウンドが絡み合う。そのコントラストが魅力となっていた。

こういった骨のあるバンドが大勢を占めていたにも関わらず、世間一般ではあまり音楽性には注目せず、TV番組などでもルックスばかりが取り上げられており、とても勿体無いと感じていた。私に言わせれば、むしろヴィジュアル系自体が、サウンド面において優れたカテゴリーだったのだ。

またヴィジュアル系は、日本発祥の、日本独自の、日本が世界に誇るカルチャーであると私は考えている。
もちろん海外にもヴィジュアル系に分類されるようなアーティストは存在していたし、実際彼らに影響されて日本のヴィジュアル系が確立していったとも言える。 しかし、私がそれでも「日本発祥・日本独自」だと思う理由は、その世界観とアレンジ力にある。日本人はしばしば、海外から取り入れたものを上手く消化し、練り上げ、再構築し、気付くと本家をも超え、更に発展した姿で世に送り出す、という能力を発揮する。車や電子機器などがその好例だ。
ヴィジュアル系も、まさにこうした経緯で独自に発展していったのだ。

元々は海外のグラムロック等を手本としていた筈だが、「元祖」と呼べる程の完成度で全世界を席巻し、今や海外の人々が熱烈に愛してくれているほどまで進化した日本のビジュアル系バンド。そこにはアニメや漫画などにもみられるような、奥深い世界観や物語性を追求する姿勢が反映されていると思うのだ。
そのあまりに広大な世界観ゆえに、サウンドの完成度があまり話題にならなかったとしたら、皮肉なものである。


さて私が組んでいたバンドにおいては、ホラー系でかつ、攻撃的で威嚇的な世界観をコンセプトとしていた。
サウンド面でも、メタル系のゴリゴリのギターリフやトリッキーなプレイを炸裂させ、ジャンル的にはインダストリアルと呼べるものだった。メンバーも厳つい男子5人組で、ツインギターであった。ちなみに私がバンド活動でツインギターを演ったのは、この時だけだ。

このツインギターには役割分担があり、私は先程述べたようなゴリゴリのヘヴィーリフ等の音楽的な面を担当し、もう1人はワーミーペダルを筆頭にありとあらゆるエフェクターを駆使し、効果音的な面を担当した。この2人のタッグで、ダークで重圧的でありながら、未来的でサイバーな世界が広がるサウンドを作っていたのだ。

この頃の私はまだ、電子音楽には携わっておらず、生バンドサウンド一色であった。だが、電子音楽への情熱は人一倍あったので、生楽器のみでの演奏にも関わらず、打ち込みのテクノグループかと思わせる程のサウンドを構築することに傾注していた。
なお現在の『映写機』も、その様子が伺える作りになっている。ハードロックでありながら、テクノの様相も見せる、というあの時描いたイメージが反映されている。

この曲は当時のメンバーからの評判が良く、またバンドのセットリストの中でも一番キャッチーな曲調だったので、演奏する機会も多かった。そういうこともあって後年、学園催でもリバイバルすることにしたのだ。
しかし、本学園でリメイクするにあたり、一つ問題が発生した…。

(つづく)

次回更新予定日は 10月23日(金)

2020年8月28日

楽曲解説 『羅生門』 第3話 - 初心

皆さんは「四神相応」という言葉ご存知だろうか。
これは風水の概念の一つで、平安京を築くにあたり採用された都市形成の考え方である。
四神とは中国の神話に伝わる方角を司る霊獣で、それぞれに対応する方角と地形が次のように定められている。

  • 朱雀 -(南)  池・湿地帯・窪地
  • 青龍 -(東)  川などの流水
  • 白虎 -(西)  大通り
  • 玄武 -(北)  丘陵・山脈

この考えに則り都市を形成すれば、永く繁栄すると伝えられている。実際、平安京は1200年もの長期に渡り都であり続けた。やはり何らかの力があると感じずにはいられない。

本歌曲が収録されているアルバム『陰陽師』は、平安京を舞台に 朱雀→青龍→白虎→玄武、と京都の街を南から北へ順々に巡る「ミステリーツアー」をコンセプトとしている。歌詞カードに記された地図を眺めつつ、それぞれの名所にまつわる12の歌曲を旅行感覚で楽しめる構成になっている。

羅生門は正確には「羅城門」と記し、読みは「らじょうもん」となる。羅城とは都を取り囲む城壁を意味し、その城壁の最南端の中央に設けられた門が、都への入口に当たる。いわば平安京の正面玄関、始まりの場所なのだ。

つまり本歌曲は、旅の始まりという重要な地点を担う歌曲である。
歌詞の内容も、何らかを習得する為には、あるいは後悔なく生きる為には、基礎が重要であると謳っている。



ところで、私の座右の銘の一つは、「初心忘るべからず」という格言だ。人生の中で様々な課題に取り組んでいると、壁にぶち当たることがある。そんな時にふと初心に立ち返ると、解決策が見えてくるのはよくあることだ。
しかし多くの場合「初心に返る」ことができるのは偶然で、意図的にこれを行うのは難しい。

一方、「始めよければ終わりよし」「終わりよければ全てよし」という諺もある。
どちらも大切で、二つで対を成すと捉えるのが妥当だとは思うが、もしどちらがより大切かと聞かれれば、私は前者の「始めよければ終わりよし」だと答える。

この諺の一般的な解釈は、

最初がうまくいけば最後まで上手く事が運ぶものだ
だから最初は慎重にとりかかるべきだ

というものである。
だが考えてみれば、誰しも初めてのことに対しては、おっかなびっくりで慎重にとりかかるのが普通ではないだろうか。わざわざ諺にしてまで戒める必要がないようにも思える。
一方、何度も繰り返していることは、手際よく行えるかもしれないが、そこには油断や慢心が潜り込み、思わぬ失敗に繋がる可能性もある。

人間というものは、ゴールのイメージはしやすい。自分の成功した姿を思い浮かべたり、最後の一手を気を引き締めてやろうという意識は容易く持てるものだ。
しかし、日常の中で毎日、「今日が初日だ」という気持ちで挑める者は数少ないだろう。多くは時と共に、成長と共に、初心を忘れてしまいがちである。特に成功の度合いが高いほど有頂天になり、重大な判断を誤ってしまうことだってある。

そこで私は、何かのスタート時だけでなく、事あるごとにこの諺を思い出し、いつも襟を正すという使い方が有効だと考えた。始めたばかりの「謙虚な心」で常に行動することにより、「終わりよし」に繋がっていく。まさに「初心忘るべからず」である。

どんなに達人になろうとも、毎日「始めよければ終わりよし」という、まるで今日初めてやるかのように初々しい気持ちで挑みたいものだ。退屈な基礎が一番重要なのだが、上達するに連れそれを忘れていってしまう。そうならない為にも、聴く度に思い出させる歌曲を作ろうとの思いから、この『羅生門』が完成したのである。(完)

次回更新予定日は 9月25日(金) 

2020年7月24日

楽曲解説 『羅生門』 第2話 - 忍耐

前回述べたように、元々この曲はアルバムオープニングを飾るインスト曲として制作を始めた。理由は、私の好きなハードロックバンドの数々がよくアルバムで採っているスタイルだったからだ。つまり1曲目は歌なしのSE曲で、2曲目からガツンと勢いある曲が来る -これが演りたくてたまらなかったのだ。
ところが『羅生門』は、SE曲ではなく通常のメロディー曲としての歩みを始め、私は葛藤の中にいた。

しかし改めて考えてみれば、学園催はテクノポップユニットであり、ヴォーカルは女性である。ハードロックバンドが好んで採用する形式にこだわっても仕方ないと思い直した。むしろバンドカラーからすると、1曲目は普通に歌曲で始まるのが妥当とも思われた。そもそもオープニングSEから始めたとして、一体どれぐらいの人が良いと感じてくれるかも疑問である。自分の嗜好を一方的に押し出したところで、誰の心にも響かなければ意味がない…。
そうこう考えているうちに、サビのメロディーが出来上がってきているではないか。もうこれはおとなしく歌曲でいくしかない状況である。

我(が)を通せば、一時期は上手くいくかもしれない。だが、長い目で見ると必ず綻びが生じるものだ。ならばここは気を収めるために、自分は今修行しているのだ、と思うことにした。我を出さない修行、メンバーの意見やバンドカラーに合わせる修行、自己満足を控える修行の最中である、と自身に言い聞かせながら作業をしていった。

創作活動にも通ずる格言で、「自分のやりたいことをやれ」とか「本当にやりたいことだけを貫け」といったものがある。このような志を持つことは大切だが、周囲との兼ね合いを意識することが大前提だと考えている。特に音楽作品の場合、自分のやりたいことよりも、聴き手がどう感じるかを重視すべき局面が多々あるだろう。
もし仮に私が、これらの格言通りに信念を貫いてしまったなら、殆どの楽曲が派手なテクノサウンドで厳ついヘヴィーリフが炸裂し、ヴォーカルはエキセントリック、そして曲中の随所でサイバーなSEが鳴り響くという、とんでもない世界観の作品が並んでいた筈だ。

私は、音楽作品とは一言で何か?と問われたら、「妥協と忍耐」と答えることにしている。実際、制作活動はこの連続である。一体何が楽しくてやっているのかと思われるほどである。自分の本当にやりたいことは中々出来ないものだ。

ところが、これには利点も存在する。
例えば一つのグループを長年継続した時だ。
一般に、活動年数が長くなりキャリアを積めば積むほどカリスマ性は高まり、ある程度自由な事が許されるようになってくる。活動歴がまだ浅い時期には、実験的な作品や自己満足的な作品はなかなか作らせてもらえないものだが、ベテランになれば可能になることも多い。
しかしそうなった途端、せっかく今まで一貫性を保っていたコンセプトや世界観があっけなく崩壊してしまうことがある。全てとは言わないが、そのような結果を迎えた事例を多々見てきた。あるいは、カリスマ的な地位を確立する以前から自分の好みを押し出し過ぎて、早々に何がしたいのか分からない有様になってしまうケースも存在するだろう。
一方、妥協と忍耐を心に掲げて創作活動に専念するならば、こういった崩壊は防げる筈だ。辛抱しただけの恩恵は十分にあると考えている。

別の例として、私がライブハウスで活動していた当時の話をしよう。ライブ本番の心得として「観客を楽しませるためには、まず自分が楽しまないといけない」というような言葉をよく耳にした。確かにこれは尤もな考え方である。
だが私の場合は、心の底から楽しみながら出演することはほとんどなかった。実際は、演奏にミスが無いように注意を払ったり、観客の反応を気にしたりで、それどころではないのだ。謂わば会社で仕事をこなしている時と同じような心境である。与えられた職務や課題に黙々と取り組むだけ。そこにはハイテンションで楽しいお祭りムードらしきものはない。
ところが、そんな心境でのパフォーマンスの方が、評判の良いことが多かったのだ。先程の創作活動の話と同様である。

これには深い意味がありそうだ。もしやこれが、仏教でいう「自我から離れた境地」ではないだろうか。自分というものを消して、与えられたものに無心で取り組む。まさに修行僧の境地。
そうして我を超越した瞬間に、妙(たえ)なる力が降り注ぎ、素晴らしい作品や演奏が具現されるのかもしれない…。
そんな考えを抱きながら『羅生門』の制作を進めていった。 

第3話につづく
次回更新予定日は 8月28日(金) 

2020年6月19日

楽曲解説 『羅生門』 第1話 - 前身

作曲開始2005年
Key = B メジャー


アルバム『陰陽師』の第1曲目。
元々このアルバムは、オープニングSEから始めることを想定していたので、短めのインスト系の楽曲として作り始めた。歌は入れずに、前半にギターリフとラップ、そして、後半に未来的なイメージの効果音が鳴り響き、そのまま第2曲目に繋がる、といった構成を考えていた。サビは勿論のこと、AメロもBメロも、とにかくメロディーの要素は入れず、純粋なオープニングSE曲にするつもりだった。
ドラムやベースの音色は、機械的で無機質な印象のものを選んで打ち込みを開始した。やがてインダストリアルな世界観が形成されてゆき、「これぞまさにSE曲!」とその時点では満足していた。

ところがだ……
「SE曲にする!」という意識が強過ぎたのか、改めて後日、シーケンサデータを冷静に聴き返すと、あまりにも度を超えてけばけばしいサウンドになっている事に気付いた。ちっぴからも同様の感想があった。
特にベースの音色が派手で、かつチープでもあり、先に述べたような「機械的で無機質」なイメージ戦略が却って仇となっていた。つまり、せっかくの機械感が良い効果を出さずに、単に派手でありきたりな方向に行ってしまっていたのだ。

一般的に「無機質な音」といえば、「控え目でシンプル」、「使い勝手が良さそう」といったイメージが浮かぶかも知れないが、常にそうとは限らない。ここが音楽の難しさでもある。無機質なサウンドは諸刃の剣。程良い未来感を演出してくれる場合もあれば、単なる悪目立ちで終わる場合もある。今回はまさに後者であった。

結果、打ち込んだ直後は「サイバーで素敵」と感じられていた音が、ことごとくコレは違う…と認識され始めた。そこで急遽、ドラムやベースの音色を主張の少ないソフトなものに差し替えることにした。
なるほど!これだと安定した音世界が成立している。特有の下品さが無く、ポップスらしく聴きどころある仕上がりになっている。
何と言っても、聴き易さが倍増している!
ウム!これなら良い感じだ、これで行こう。
…と思った。
が、しかし!
これではもはや、SE曲っぽさがすっかり消失しまっているではないか。アルバムのオープニングを景気付けるための短い曲、という雰囲気ではない。それこそ何らかのメロディー部分が無いと盛り上がりそうもない。
さてどうするか……。
(つづく)

次回更新予定日は 7月24日(金)

2020年5月22日

楽曲解説 『第六感』 第3話 - 編曲

『第六感』最終話となる本稿では、編曲について語ろうと思う。

第1話で述べたように、かつて所属していたバンドでは、テイストに合わないということで冬眠を余儀なくされた本歌曲。だが時々思い出しては、アレンジのアイデアなどをノートに書き留めていた。「元々のハードロックな曲調から、ここをこう変化させたら面白いかも」、といった内容である。
2017年頃には、テクノポップに仕上げるという方向性がある程度まとまったので、試しに打ち込んでいるうちに、徐々に形が出来上がってきた。ちっぴが歌うシーンを想像しながら制作を進めていった。

この時の編曲コンセプトは、「よりテクノ色を強めるため、ギターの生演奏は入れずに全て打ち込み楽器のみで完成させる」、というものであった。本来、テクノというジャンルは、特に意図がない限り、生楽器は入れずに打ち込みだけで完結させるのが主流だからだ。
ただし私はバンド出身者なので、伴奏にはギターを入れるのが当たり前という感覚がある。しかし今回は敢えて、この「当たり前」を打ち破り、新たな境地を切り拓いてみるのも良いのではないかと考えた。
つまり、得意のギターを置いて、純粋なテクノサウンド作りに挑むことにしたのだ。これは本学園としては稀な形式となる。現時点においてギター演奏が入っていない歌曲は、アルバム『陰陽師』に収録されている『出町柳』のみである。

ただしこの曲のアレンジは、アルバム内の一曲ということを前提としたものだった。12曲の中の一つなら、ギター無しの曲も、全体の流れに変化を付けるという意味で成立しやすくなる。だが単独でリリースする曲の場合、 また話が違ってくるのだ。
シングル曲においてギターを入れないのなら、それを補うべく音数や音色の彩りが重要となってくる。今回は、本格的かつ純粋なテクノ楽曲を作るのだ!という意志と覚悟のもと、アレンジを進めていった。
数日後にはある程度、イメージ通りのものが出来上がってきた。そこには煌びやかでエレクトリックな世界が広がっている。「これは良いものが出来た!」とその時は思っていた。これなら、ギターが無くとも聴き応えのある歌曲を作っていけそうだ。今後もなるべくこのスタイルを精力的に取り入れていこう、とも考えた…。

しかし、このアレンジをちっぴに聴いてもらったところ、根本的な指摘があった。それは、「確かにエレクトリックで夢のあるサウンドだが、派手で音数も多いため、一番肝心の歌が聞こえにくくなると思う」というものだった。
なるほど、確かに本作は歌ものである。「歌を聴かせる」のが大前提だ。だがこの編曲だと、インスト曲として聴くなら良いだろうが、明らかにボーカルの邪魔をしていた。
どうやら、 「ギターを入れずとも聴き応えのあるものを作ってやる!」という意気込みが強すぎて、過剰に作り込んでしまったようだ。本来テクノというものは、ボーカルではなくサウンド全体で聞かせるのが目的となるので、音数が多く煌びやかなアレンジがそのままプラスに働く場合が多い。だが歌ものとなると、そうはいかないのだ。

ひとまずの対処としては、アレンジは変えずに各種エフェクトをかけることで、何とか改善できないか試すことにした。だが歌の邪魔となる要素は依然として残り続け、音色を差し替えてもみたが、しっくり来ない。
そこで最終的には、伴奏のメインとなっていたパートを廃止して、普通にギター演奏を入れる事になった。気合を入れて打ち込んだパートなので未練はあったが、ともかくギターフレーズを作り、レコーディングしてみた。
そうして出来上がったものを聴いて驚いたのは、生演奏に切り替えただけで、何とも自然に歌が聞こえてくるようになったということだ。更に、ギターの生演奏という粗削りで人間味のあるテイストが、他のエレクトリックな楽器と融合して、実に学園催的なサウンドになっているのだ。

「ああ、やはり学園催の歌曲は、こうすべきなんだな」と改めて初心に還るような気持ちになった。もちろん新境地の開拓は大切ではあるが、変えてはならない部分もあるのだと気付かされた。
私は元々生バンドで活動していた人間だから、曲作りの際にもやはり、「生演奏」は外せない何かがあるのだと思う。コンピュータを駆使する打ち込み曲であっても、何かしら生の楽器を入れるというのが、私にとっては自然な状態なのかも知れない。
今回の制作は、生演奏の力、自分本来の曲作り、そして自分らしくある、ということの重要性を再確認し、とても思い出深い体験となった。

長きに渡る制作期間と試行錯誤の末、やっと日の目を見た本歌曲。まだまだ話したい事はあるが、本稿ではこのぐらいにしておこう。また話がまとまった暁には、外伝として追記する所存である。(完)


次回更新予定日は 6月19日(金)

2020年5月1日

楽曲解説 『第六感』 第2話 - 歌詞

第1話では、作曲の経緯や音楽的な内容について述べた。それらに関してはまだまだ伝え切れないものはあるのだが、ここではタイトルについて少し触れたい。

この曲は、メンバー間では「テレパシー」と呼んできた。作曲開始当初(1991年)に付けたタイトルである。曲調は幾度ものアレンジ改変を経て変化してきたが、タイトルだけは当時のまま使い続けている。
海外版でのタイトル表記は "Telepathy" である。これをそのまま日本語にすれば、「思念伝達」「精神感応」などの四字熟語となり、本学園の三字熟語ポリシーには沿わない。一方、三文字の「第六感」は、大きな括りとしてテレパシーも含むことから、曲名として採用することとなった。

また、歌詞についてもお話しておこう。
こちらも曲調と同じく、制作開始時からはかなりの変遷を経ている。舞台は学校、教室での一幕となっている点は変わっていないが、当初はもっと普通の恋愛ソングに近かった。それが年月の経過と共に、より重いテーマが徐々に盛り込まれていったのだ。

その主だった変更はここ数年で大幅に行われた。作詞のクレジットが、「貞子+ちっぴ」となっているように、ちっぴと共に改作していった部分が大きい。元々私が作った歌詞の中で、改善の余地がありそうな箇所をピックアップしてもらい、彼女の意見をもとに改良していくというやり方である。二人で改良した部分や、ちっぴだけで改良した部分もある。

この方式での歌詞変更は、実は歌曲『不登校』でも行っている。いずれも私の視点だけで書かれた時よりも、女性の感性が加味され、柔らかさや可愛さ、優しさなどの要素が増し、良い仕上がりになったと感じている。今後もこの方式は度々採用していこうと思っている。

ここからは、そうして完成した歌詞の内容に関する話である。

もしテレパシーという特殊能力を手に入れたら、皆さんはどうするだろうか?普通では訊けないアレもコレも知りたくなるだろうし、実行に移す人達もいるかもしれない。
となれば、この曲のテーマはいわゆる人間の心の闇なのか、と解釈される向きもあるかもしれないが、主旨は他にある。すなわち、どんな優れた能力でも、濫用はせずに程々にした方が良いよ、ということなのだ。

思うに人生における失敗とは、途轍もなく大きな過ちを一発やらかして復活不能に…、というよりは、小さな悪癖がついついやめられずに、気付けば取り返しのつかないところまでエスカレートしていた、といったことの方が圧倒的に多いのではないだろうか。もしも超能力を手に入れてしまっても、後者のような結末を迎える可能性が高いと思う。
別に超能力でなくとも、現実的な事柄においても同様である。人間というものは、地位やスキルが少しでも高まった途端、つい油断したり有頂天になったりしがちだ。まあそれでこそ人間である、と言えなくもないが、出来れば避けたいところである。
そこで本歌曲は、「自身の能力が向上しても有頂天にはならぬように」と自制を促しているのだ。

歌詞にはもう一つ、メッセージが込められている。それは現代の情報社会への警鐘である。
インターネットが普及してからというもの、そこで行われている情報のやりとりは、ひと昔前からすれば、いわば超能力レベルである。この世の全てを知ることが出来るような錯覚さえ起こしかねない。
だが、やはり何事も程々である。ネット社会の悪影響の一つとして、知らなくて良いことを知ってしまう、ということがある。そこには様々なリスクがある。余計な不安を助長したり、不要な怒りを生んだり…。昨今問題視されているストレス社会の一因であろう。

「昔は良かった…」という年配者の口癖のような台詞があるが、私はここに言葉以上の重みを感じ、真実を含んでいるように思うのだ。
「古き良き時代」とはよく言うが、この歌曲を作り始めた1990年代初期は、日本全体が好景気に沸いており、みんな毎日がお祭り騒ぎのように盛り上がっていた。まだネットも携帯電話も一般化しておらず、現代から比べれば随分不便な時代であった。2000年以降に生まれた人からすれば、想像を絶するほど原始的な生活スタイルかもしれない。
それでも、人間自体はイキイキしていて、元気で、世の中全体に明るさがあった。情報伝達手段が限られていたからこそ、現代のような人間関係の問題やギクシャク感が著しく少なかったのも一つの要因であろう。知らなくて良いことを知らないままでいる特典とも言える。

現代は、やりたいことは何でも可能だと思える程の時代。ひと昔前なら魔法と思われたことが、今、普通に可能になった。これは本当に喜ばしいことであり、私自身もこの利便性を享受している。だが個人的には、かつての元気さや明るさが翳ってしまっているように見えるのが気になっている。そんな気持ちを抱きながら書いたのが、この曲の歌詞である。

第3話につづく
次回更新予定日は 5月22日(金)

2020年4月10日

楽曲解説 『第六感』 第1話 - 誕生

作詞:貞子 + ちっぴ
作曲編曲:中宮貞子女帝
作曲開始:1991年
発表:2020年4月4日
Key = E メジャー

ようやくこの歌曲を発表する時が来た。
発案・作曲開始は1991年に遡る。曲自体は1994年には一旦完成していたのだが、様々な事柄が絡み、日の目を見ないまま、時だけが過ぎていった。

元々のキーはE♭で、しかもチューニングは6弦と5弦の両弦だけを半音下げにする、という特殊な調弦法で演っていた。この頃はやたらと変則チューニングに凝っていたのだ。
曲調は通常のハードロックのアレンジであった。イントロからヘヴィーなリフが炸裂するかなり攻撃的なサウンドで、ダークな印象すらあったのだ。その理由は、当時の私はまだ、生バンド真っ盛りの時代だったからだ。私はギター担当である。厳ついリフから少しずつ作り始めたあの頃が、昨日のように思い出される。

その頃の音楽シーンは、好景気の勢いも相まってJ-POP史上最大とも呼べる空前のバンドブーム絶頂期であった。現在からは想像もつかない程の狂喜乱舞な世界だったのだ。どこもかしこもバンド一色で、私自身もロック以外は考えられない程の熱中ぶりであった。
だが、私の中では、なぜかこの歌曲は「電子音楽系の楽曲に仕上げたら面白いだろうな」という強い想いが既に漂っていたのだ。電子音楽系と表した理由は、まだこの頃はテクノという言葉を、私自身は使っておらず、シンセサイザーを駆使したエレクトリックな楽曲をこのように呼んでいた。

その想いはともかく、まずはバンドで演奏しないといけないので、それに適した形態のアレンジでデモを作り、当時のバンドメンバーに聴かせた。この時のヴォーカリストは男性である。曲自体は好評ではあったが、なぜかライブのセットリストに入ることはなかった。それどころかスタジオ練習でも2~3回合わせた程度だった。考えられる理由は、まずチューニングが複雑なのと、あとは、まあ…、メロディーが結構ポップだったから当時のバンドカラーには合わない、などといったところだろう。また、女性ヴォーカル向けの雰囲気だ、とも言われた。
前述の通り、テクノ的な楽曲に仕上げたいとの想いから、メロディーがかなりポップになっており、バンドメンバーにはそれがミーハー的に捉えられ、お気に召さないという者も結構居たのだ。バッキングはヘヴィーで厳ついのに、メロディーはポップ、というのが当時としては、受け入れ難かったのだろう。

その後、1997年に本学園の前身となる男性4人組ロックバンドが結成され、その際にも本歌曲が浮上した。だが、スタジオ練習で数回演奏しただけで、やはりライブ等で演奏される事はなかった。この時のヴォーカリストはかなり硬派な人で、メロディの雰囲気や歌詞の内容が彼のキャラクターと合わないという事で自然にセットリストから外れていったのだ。それを最後に、本歌曲は暫し、長い冬眠に入ることになった……。
(つづく)

次回更新予定日は 5月1日(金)

2020年3月20日

楽曲解説 『陰陽師』 第3話 - 所感

前回は、創作上の陰陽師と実際の陰陽師の在り方についてお話した。今となっては確実なことは言えないが、近からず遠からずというところだろう。

歌曲『陰陽師』を作るにあたっては、このような「華美ではないが、実は世を支配する黒幕」という世界観をモデルに作曲した。そしてD♭マイナーという、通常のポップスではあまり使われないキーで奏されている。ちなみにハードロックやメタルでは、弦楽器のチューニングを半音下げにする場合が多いので、聞こえ上はD♭マイナーになり、それほど珍しくはないキーではある。しかし普通のポップスでは、特段の理由でもない限り、わざわざこのような微妙なキーで演ることは少ない。ともかく、このD♭マイナーのお蔭で独特の暗さが出ていると思う。

また当時は、この歌曲を主体としたアルバムを制作する事は全く想定していなかった。アルバムのタイトル曲にしては、少々地味で控え目な雰囲気にも感じていた。現に、アルバム『陰陽師』には、派手でインパクトの強い歌曲は沢山ある。むしろそれらの方がタイトル曲と言っても良いほどだ。だが、先述の「黒幕的」な世界観に従えば、この『陰陽師』がタイトル曲で良いのかも知れないと考えた。
また、一つの曲にかなりの年数をかけてじっくり作り込むスタイルの私からすれば、この歌曲は作曲にかけた年数が短い。2年と数カ月で完成している。実に稀なケースである。だが、その割には底知れぬ暗黒の雰囲気が漂い、古(いにしえ)の深さが表れているようにも思える。
ともすれば、平安を生きた陰陽師から送られて来た霊験の賜物だろうか…。
(完)

次回更新予定日は 4月10日(金)

2020年2月28日

楽曲解説 『陰陽師』 第2話 - 背景

ところで陰陽師と言えば、皆さんはどのような存在だとお考えであろうか?
現代では小説や映画などに登場し、容姿端麗で呪術や占術を駆使する、神秘的かつアイドルのような存在として描かれるケースが多い。しかし実際の陰陽師は、その限りではなかったようだ。やはり現代の作品においては美化され神格化されている面があるだろう。確かにその方が浪漫があり作品を楽しめるので、それはそれで素晴らしいのだが、今日は、陰陽師への違った視点、意外な一面に触れるのも良いのではなかろうか。

陰陽師を現代の職業に置き換えると、何に相当するだろう。まずは気象予報士が近いところではないだろうか。あと、政治家の側近のような仕事もしていたようだ。つまり、占術等を駆使し、天候を予測したり、政治経済の情勢を読んだりしていたのだ。いずれにしても非常に重要な役職ではあるが、映画等で描かれているような華麗さはなく、ごく堅実な職業であったと思われる。スター性や神秘性とは無縁の、地味な存在ともいえる。安倍晴明の肖像画を見ても分かる通り、華美な点は一切無く、ごく普通の真面目そうな男性だ。

しかし、私にはその方が魅力的に感じるのだ。なぜなら、まだコンピュータもなく科学技術も全然発達してなかった時代に、一見地味な人達が、天候を予測したり、世の情勢を捉えていたのである。彼らの言葉ひとつで国が動くのだ。途轍もない黒幕のような威力を感じずにはいられない。ハリウッド映画でもよくあるように、一見冴えない地味な男性が、実は世界を牛耳る黒幕だった、というパターンの意外性やギャップが好きである。実際の陰陽師もそのような存在だったように思えるのだ。

私が「陰陽師」というタイトルで歌曲を作る事になった時、初めは魑魅魍魎に対し呪術で闘う、いわゆる典型的な華々しい陰陽師の姿をテーマにして、アップテンポで、軽快かつ雅(みやび)な雰囲気のものにするという案もあった。
だが、やはり上述したように、自分が本来陰陽師に対して持っているイメージを重視し、黒幕的で、奥底から来る威力が表現できるような、ミディアムテンポで暗い歌曲に作り上げる道を選択した。

[第3話に続く]
再来週の更新はお休み。
次回更新予定日は 3月20日(金)春分の日

2020年2月14日

楽曲解説 『陰陽師』 第1話 - 動機

作曲開始 2004年
Key=D♭マイナー

「陰陽師」という言葉をみれば通常は、平安時代などの和風で雅な印象を持つだろう。しかし、なぜか私には、また違ったイメージが浮かぶことがある。デジタル空間的、あるいはレーザー光線のようなものというか。おそらく「陰陽」という字面が「光と影」をも連想することから、その明暗のコントラストにより、電子的というか、未来的というか、そういった想像がかき立てられるのだと思う。
例えば暗闇の中、点いたり消えたりを繰り返す、切れかけの電灯のように、定期的或いは突発的な発光のイメージがよぎるのである。
この曲では、まさにそのような情景をもとに制作を進めていった。明滅する光の様子は、エレクトリックピアノのリフで表現されている。

当初の音楽的な計画としては、和風な要素を敢えて入れない予定でいた。理由の一つとしては、陰陽師という言葉からは、先述の通り私には電子的な光景が浮かぶからである。しかし、いま一度考えてみれば、『陰陽師』というタイトルにも関わらず和風要素が一切ない曲というのも、偏り過ぎているかもしれない。しかも自分自身、制作を進めて行く中で、気付けば頭の中ではある程度の和風音階が次第に鳴って来ているではないか!
そういうこともあって、ここは素直にインスピレーションに従って作る方が良さそうだ、と思い直した。

[第2話に続く]
次回更新予定日は 2月28日(金)

2020年1月31日

楽曲解説 『清水寺』 第3話 - 編曲

第2話は、楽曲制作に関してかなり踏み込んだ内容になった。未知の世界に迷い込んだように感じた方もいらっしゃるかと思う。だが、ここは学園催。そう、学校なのである。部活動ではあるが、文化部ということで、頭の体操と捉えていただければ幸いである。

さて、清水寺の制作に話を戻そう。

教科書的なテクノの作り方に則り、ベースやドラムのハイハットは裏打ちを強調するフレーズにするなどして、打ち込みは完了した。だが、その打ち込んだ先とは、YAMAHAのシーケンサQY300である。無論私はこのヤマハQY300が大好きである。最高のマシンだと確信している。現在でも、私の音楽制作に於ける中心的なツールとして活用している。とても操作がし易く、機能性は世界一だと思う。だが、かなり昔に生産・サポートは終了しており、今となっては、知る人もあまりいない骨董品的なマシンとなってしまった。音色に関しても、はっきり言ってテクノとは程遠い。快適な操作性は裏腹に、サウンドに難ありなので、工夫が必要となる。

まず、伴奏楽器の音色だが、このシーケンサに搭載されている中で数少ない電子楽器音である square wave(矩形波)やsaw wave(鋸歯状波)などを選択 (ただし公開版では、サウンドが単一的になるのを避けるために、他の音色になっている部分もある。) そこにエフェクトをかけることで、テクノらしさが出るようにした。ドラムは、往年のテクノのドラム音源の代表とも言えるTR-909のサンプリング音を使用。
なお、一般的なテクノやトランスでは、「アルペジエータ」と呼ばれる、自動的に分散和音を演奏してくれる機能がよく用いられるものだが、残念ながらQY300にはそのような機能は付いていない。仕方なく、手作業で各和音から成るピコピコ的なフレーズを追加で打ち込みしていった。

ところで、この曲は1分43秒の所からCメロになるが、ここだけ敢えてバンド風のアレンジになっている。ドラムのスネアもバスドラムもバンド系の音色。ギターもクリーントーンで普通のコードストロークプレイ。なぜここだけアレンジを切り替えたかというと、このように相反するジャンルの対比を用いることで、テクノの部分を際立たせ、よりテクノサウンドに聴こえる仕上がりになると考えたからだ。この様式は現在も学園催の音楽形態の1つとなっており、他にも河原町、新学期、阿僧祇、修行僧といった歌曲でもこの様式で制作されている。今後もこのような形態の歌曲は登場させる予定である。

またこの清水寺では中華風の曲調になっていることから、ストリングス系の音色もリバーブを深くかけるなどして、雲南省や四川省などの壮大で霊験あらたかな雰囲気を醸し出すようにした。

このように試行錯誤しながら、ロックバンドの活動の傍ら数年かけて、自分好みのテクノサウンドを作り上げるという目標は達成できたと思う。しかし、完成したものが「学園催の曲」として日の目を見るのは、また数年先の話である。(完)


次回更新予定日は2月14日(金)

2020年1月17日

楽曲解説 『清水寺』 第2話 - 作曲

さて第1話は如何だっただろうか?結構な昔話も含まれていた。非常にマニアックだと感じた方々もいらっしゃるだろう。今後、他の歌曲も順次解説していくわけであるが、まあしかし、毎回このようなマニアックなものにはならないつもりだ。曲によっては、面白エピソードを交えたり、気楽に読めるものも掲載していくので、今後ともご愛読頂きたい。


それでは、「清水寺」制作の続きである。

楽曲のコンセプトは決定したが、実際の作曲手順は、以下のようなものであった。

まず、ヴォイスパーカッションなどで、ドラムやベース等のフレーズをラジカセにメモ録音する。シンセのパートも声で録音した。ラジカセを数台用意して、多重録音によって出来る限りの音数を記録した。メモ録フレーズがある程度まとまり、楽曲としての構成が固まってくれば、ヤマハのシーケンサ「QY300」に入力していく。

これはもちろん、非常に手間の掛かる作業工程である。メモ録などせずに、考え付いたフレーズを直接QY300に打ち込めば良いのに、と思われるかもしれない。その上、ラジカセが登場するなど、現代から考えれば想像を絶する手法だろう。

だが私は、旋律やフレーズが頭に浮かんだ、まさにその瞬間の印象や威力・鮮度を逃さぬよう、即時に記録することにこだわっている。後でその録音を聴きながら、頭の中で組立・吟味し、「よし!コレだ!」と確信してから、初めてシーケンサで打ち込み、と言う手順で進めることが多い。考え付いたフレーズは、まず耳で実際に聞ける形にしたり、楽譜に書いたりして、そのフレーズが心に納まったと感じてから、シーケンサに入力する。
私は今もこのやり方で楽曲制作を行っている。


[第3話に続く]
次回更新予定日は1月31日(金)

2020年1月3日

楽曲解説 『清水寺』 第1話 - 動機

作曲開始 1996年
Key = F#マイナー


これから数回に渡り、歌曲「清水寺」が出来た経緯についてお話しする。かなり昔の事にも言及するので、令和の時代からすれば、想像がつかないようなことも多いかもしれない。そこは温故知新・または未知への遭遇といった気持ちでご一読いただければ幸いである。

清水寺の作曲を開始した頃、1996年~98年の音楽シーンでは、ヒット曲と並行する形で、日本でもテクノやトランス等のジャンルが盛んになっていた。様々なダンス系のオムニバスアルバムも多くリリースされ、華やかに時代を彩った。私もその盛り上がり具合は好きではあったが、単に流行りに乗っただけの作品も多かった。それらはダンスフロア等で流れる分には最適だったかもしれないが、私は、じっくりと聴き込めるようなダンス系サウンドを求めていた。

しかし、探せど見付からない。
無いものは自分で作るしかない。
そこで、「自室で集中して世界観に浸れる」ことに特化したダンス楽曲の制作を始めることとなった。

その当時、私は普通の4人組ロックバンドで活動していた。
「清水寺」はお聴きの通り、打込系・四つ打ちタイプなので当然、ロックバンドで演奏出来るタイプのものでは無かった。せっかく作ってもそのバンドでは演奏されることはない。しかし、テクノを作りたい!と言う情熱は抑えられず、今思えば、まだテクノを作れるような環境が整っていない状況から作曲を開始した。
コンセプトとしては、通常は西洋的な要素を持つダンス曲に、東洋風の旋律を基礎とし、歌詞も漢字の音を主体としたものを取り入れると面白いのではなかろうか、と思い立ち、そこからスタートした。


[第2話につづく]
 次回更新予定日は、2020年1月17日(金)

2020年1月1日

部活動、始めました!

こちらは学園催の部活動「音楽研究部」の発表の場です。
歌曲の詳しい解説や、中宮貞子の音楽論を掲載していきます。音楽研究部内には、器楽班、映像鑑賞班などがあり、各班の研究成果も発表されます。

本学園のカリキュラムと共に、こちらの部活動もご一緒に楽しみましょう😄