本日、インストプロジェクトの第2曲目を公開いたしました。
タイトルは『Shikigami Metalizer』、和風の妖しい世界観がテーマです。
第1曲目は約2分のパターンが繰り返されていましたが、本曲は全体に渡って呪術的で複雑な作りになっております。刺激がほしいとき、創作のためのインスピレーションを得たいときなどにぜひご活用ください。
The Music Collegium of Gakuen_psy
本日、インストプロジェクトの第2曲目を公開いたしました。
タイトルは『Shikigami Metalizer』、和風の妖しい世界観がテーマです。
第1曲目は約2分のパターンが繰り返されていましたが、本曲は全体に渡って呪術的で複雑な作りになっております。刺激がほしいとき、創作のためのインスピレーションを得たいときなどにぜひご活用ください。
皆さま 新学期が始まりましたね🌸
学園催 音楽研究部では、新企画 インストプロジェクトを始動いたしました。定期的にインスト曲を発表していく予定です。
第一弾は、過去のネットラジオ企画のために制作した曲のリメイクです。
トークのBGMとして流していましたので、比較的シンプルな作りになっております。リピート再生により作業用BGMとしてもお聴き頂けます。
どうぞお楽しみください♪
『走馬灯』の解説は今回で完結となるが、最後に、楽曲と共に制作したミュージックビデオについても少し触れてみたい。
一般に、アンビエント・環境音楽といわれるものは、どちらかといえばリラックス、マスキング、或いは治療目的などで聴かれることが多い。通常のポップスとは異なり、「楽しむために聴く」というよりは、実用的な使われ方が多くなるジャンルである。
本曲でも、そういったニュアンスが色濃くなっている。
では、このような音楽がリラックスや癒しの効果を持つのはなぜだろうか。
要因は様々だろうが、その一つとして挙げられるものが「催眠」である。
催眠状態とは具体的にどのようなものか。まず、理性が抑えられて暗示にかかりやすくなる。リラックスしたり、恍惚感が高まったりすることも多い。このとき人は、現実的なことやネガティブな事を考えにくくなる。また、副交感神経の働きが交感神経よりも優位に働きやすくなり、その結果、心身の様々な症状において好転が見込まれるといわれる。
このような状態に入る方法として、一つには単調なリズムや持続音を聴き続けるというものがある。
例えばトランスミュージックでも、その単調で定期的なビートにより催眠誘導が起こり、いわゆるトランス状態に導く効果があるといわれている。事実、トランス音楽のライブ映像を見ると、観客はみな没入・陶酔し、狂喜乱舞している。凄い威力である。参加者が一斉に、何かに憑りつかれたように恍惚状態に達しているのだ。
しかし実際のところ、単調なリズムを聴かせるだけで、本当に催眠状態に導けるものだろうか。
いや、これはさすがに難しいと考える。
確かに世の中には、催眠にかかりやすい人も一定の割合で存在するので、音楽を聴くだけで本当に催眠にかかってしまう人もいるかもしれない。だが、大多数の人はそうはいかない筈である。
テレビ番組でよくある催眠術の企画も、その殆どは申し合わせた演出だといわれる。催眠術にかかったフリをしているか、もしくは編集により、催眠にかかりやすい人の映像を抜粋しているケースが多いようだ。
もし仮に、誰もが簡単に催眠術にかかってしまうのであれば、すぐに悪用されてしまうだろう。世の中は今頃、かなり大変なことになっている筈だ。だが現実は違う。100%不可能とまでは言わないが、日常的に乱用されているようには見えない。
つまり、単調な音楽を聴かせることで容易に催眠状態にて、他者をコントロールするといったことは、ドラマや映画の中だけの出来事なのだ。それが妥当な答えであろう。
では環境音楽によって得られる癒し効果や、トランス音楽のライブで見られる集団催眠的な現象は、どのようにして起きるのだろうか。
ここで一つ、興味深い事例を紹介する。
時は18世紀の後半、ヨーロッパにメスメルという医師がいた。彼はまるで魔法のようにあらゆる病を治してしまうというのだ。これは現代医学における催眠療法にあたるとされる。その手順は次のようなものだ。
診察室に全患者を集め、神秘的で単調な音楽を流す。室内を薄暗くして、患者たちの意識が少し虚ろになってきたところで、豪華な服装に身を包んだメスメルが優雅に登場する。患者の意識は更に朦朧となってゆく。
メスメルは踊りながら、一人一人の患者を診て回り、手当てをする。全員への処置が完了するとメスメルは退場し、やがて音楽が止まる。
すると患者たちは平常時の意識に戻り、その時点で症状が全て治癒している、というのだ。
実はこの手法は、いわば催眠の教科書ともいえる王道的なものだ。ここでは「権威」が一つの鍵となっている。医師と患者の間に信頼関係が形成されており、これが催眠をかける大きな手掛かりとなる。
また、メスメルが活動していた頃はまだ、呪術や儀式の効果も素直に信じる古き良き時代であった。多くの人々が、暗示にかかりやすい素地を持っていたともいえる。
さて、ここで重要な点がある。それは、メスメルは音楽の力だけで人々を催眠状態に導いているわけではない、ということだ。環境の助けを借りている面が多々ある。薄暗い室内、豪華な服装、優雅な舞踊など、非日常的な空間に患者を置くことで、現実感の低下を促しているのだ。
それでは、トランスミュージックのライブについてはどうだろうか。
やはりこちらも、音楽以外の様々な演出や仕掛けが存在する。
会場の閉鎖性、色とりどりの夥しい照明、そして何より、大人数で同じビートに没頭する環境がある。こういった場面では群集心理が働きやすい。音楽のみでは、そこまでの没入・陶酔に至るのは難しいだろう。演出をプラスすることで、人々は別世界へと導かれてゆくのだ。
そこで本曲でも、音楽に加える別要素を取り入れることとした。
つまりミュージックビデオである。特に複雑なものではなく至ってシンプルだが、催眠状態へ導くには適した構成となっている。オープニングでは蛍のような灯が明滅しながら飛び交う。やがて走馬灯をモチーフにした造形が蜃気楼のように浮かび上がる…。
こういった非現実的な演出と、音楽との相乗効果によって、更なる癒しや陶酔へと誘うことを目指した『走馬灯』。今回の解説を踏まえて、いま一度、聴覚と視覚から成る幻想的な世界を味わって頂けると幸いである。(完)
次回更新は4月4日。インスト曲の発表である。
またのご来校、お待ちしている。
静かで落ち着いた中にも、明るさや刺激、非日常さが感じられる「歌入りのアンビエント」
そんなコンセプトで制作した本曲であるが、その実現のために施した工夫をいくつかご紹介しよう。
まずは定期的に鳴る、高音の鈴のような金属音だ。ディレイ効果を付けて不思議な輝きを演出した。
ギターも音数の少ない単音弾きを中心とし、浮遊感を重視している。
これらの幻想的なサウンドに掛け合わせるのがノイジーなドラムパートである。今回のドラムはなるべくラウドな音源を選び、時間によって音色を変化させている。ドラムだけを集中的に聴いてみると、武骨でインダストリアルな響きに気付いていただけるだろう。
アンビエントなのに刺激とビート感が保たれるという新感覚を目指したのだ。
またメロディーは、普通の歌もののメロディーラインというよりは、楽器で演奏するタイプのメロディーを意識して作った。ポップでありながら、音程変化は機械的である。おそらくオルゴールのような音色の楽器で演奏してもよく合うと思う。
そして歌詞であるが、実は元々この曲も普通に日本語で作っていた。だがそれを廃止し、ほぼ全域をαスキャットとした。唯一残した日本語も、「ゆっくりと/まどろみに/おちてゆく」といった日常会話ではあまり登場しないような言葉を選んでいる。
このような意図で構成された今回の歌詞にはメッセージ性はなく、共感を呼ぶことはまずないだろう。だがそれで良い。やはり人は言葉が具体的であるほど、描くイメージがその意味に引っ張られてしまう。日常性を排すことで、夢の中での出来事のように感じられるのだ。
このようにして作られた『走馬灯』、皆さんを幻想的な世界へと導くお手伝いができているのではなかろうか。
なお本曲には「心地好いまどろみに導くおまじない」が込められているが、実際、眠気を誘う効果があると感じている。学園催の楽曲は、その8割以上が朝のスタートダッシュ、気合一発!という系統が多い中、この曲は例外である。乗り物の運転時など集中を要する場面での再生は念の為に控えて、できれば就寝時などリラックスしたい時にお聴き頂きたい一曲である。
つづく
作曲編曲:中宮貞子女帝
作詞:貞子+ちっぴ
作曲開始:2016年
完成発表:2021年12月25日
Key=C#メジャー
おまじない:心地好いまどろみへと導く
昨年末に発表した新曲『走馬灯』であるが、ここには学園催の掲げる理念が色濃く反映されている。
その一つが『αスキャット』 —— これは意味を持たない音声で歌われるパートで、歌詞は特殊な文字列で表記される。
その目的は「言葉の概念を超えて、頭を空にしてサウンドに没入する」ことである。
一般的に、ポップスでは歌詞に重点が置かれるものだ。歌詞の意味に共感したり、勇気をもらったりする。特に日本では歌詞が重要視される傾向にあるといわれている。私自身、気に入った曲の歌詞がどうしても聞き取れなくて調べたりするし、学園催の作詞においても、サウンド制作より苦労することもある。
しかし時には、言葉から与えられるイメージではなく、サウンドから生まれる世界に没入したいことがある。それはボーカルの入っていないインスト曲ではもちろん可能だが、歌モノでも同様なことを実現したいと、日頃から考えていた。
ところで、私の個人的な好みといえば、8割方がラウドな曲である。明るく派手でガツンと来る、破壊力のある曲が圧倒的に好きなのだ。
そして残りの2割は静かな曲となるが、よく聴くのはインスト曲で、アンビエントやヒーリング系が大勢を占めている。「アンビエント」とは「辺り一面」「環境」といった意味で、しっかりしたメロディよりも効果音がメインで構成される。
静かなボーカル曲といえばバラードとなるが、賑やかな曲よりも更に歌詞に重点が置かれる傾向にあるため、サウンドのみに集中するのはなかなか難しい。
そこでインスト曲を聴くことになるのだが、そうはいっても私は根本的に歌モノの曲が好きである。ヒーリング目的などでインストを長時間聴いていると、やがてボーカル曲が聴きたくなる。
「言語に影響を受けないアンビエントなボーカル曲」が聴けるならば一石二鳥といえるが、ある意味矛盾ともいえる条件なので、なかなか見付からない。ならば作ってしまえということで、『走馬灯』の制作は始まった。
ボーカルは、ほぼ全面的にαスキャットとし、まさに言葉の領域から離れ、音の世界に集中してもらうことを主眼とした。そのサウンドは、幻想的なアンビエントを基調としており、そこにノスタルジックな電子音、ノイジーなリズムトラックを融合させている。
実は本学園では、アンビエント系の曲は、アルバムでは数曲発表している。例えば、アルバム『陰陽師』に収録される『丸竹夷』や、ミニアルバム『阿僧祇』に収録されてる『無量数』などである。しかしそれらはメルヘンな雰囲気がありながらも、ホラーテイストが強く、うっとりと陶酔するような性質のものではなかった。まあホラーテイストもこれはこれでスリリングで良いものだが、今回はもっとこう、煌びやかで夢の楽園に居るような世界観のものにしたかった。
単に静寂だけではなく、明るさと刺激が融合した音世界を創ろうと考え、今回その実現に至ったのだ。
つづく
次回更新は2月25日 (金)
今回で『修行僧』解説は最後となるが、ここで本曲のミュージックビデオについて少し語っておきたい。
制作のきっかけとなったのは、配信サイトとカラオケチェーン店の共同企画で、インディーズアーティストの曲を一般のカラオケ店でも配信して歌えるようにするという、当時としては画期的なものであった。あれからもう何年も経つが、この「カラオケの鉄人」というチェーン店のサイト上で検索すると、今でも本曲はヒットする。店舗の所在地は関東圏で、実際に店舗で歌えるのかどうか私たちは確認できないのだが、ご興味のある近隣の皆様にはぜひ一度お試しいただきたい。
さて、現在はYouTubeで公開しているこのビデオであるが、サムネイルはご覧のとおり、険しい山岳の画像に行書体フォントで『修行僧』とある。いかにも厳つい修験者が猛烈な修行に勤しむ様子が連想されそうだ。
ところが曲が始まれば、テクノサウンドと共に、ポップな絵柄のアニメーションやイラストに切り替わる。
かと思えば、私のラップとギターが演奏されている箇所では、厳つげな実写画像の数々が迫り来る。
そう、ここでも楽曲と同様、キュートとダークという対比構造が存在している。
ちっぴパートに登場するイラストは、当時女子中学生だった毒ラズベリーさんという方に描いていただいたものだ。可愛くも空虚さのある表情でドリーミーな雰囲気が漂っており、とても気に入っている。
一方、貞子パートは全て実写である。猫の写真、祠(ほこら)の写真など様々なものがあるが、私の姿が写っているものは、2008年に撮影した。この年はライブ活動で多くの場所に出向いたため、様々なシチュエーションでの写真が多く残っている。
中でも一推しは、ギターソロで使用しているものだ。ネオン街の一角で、私が情熱的にギターをかき鳴らしている。ここは「ミナミ」の中心地で、深夜でも多くの人々が行き交う場所だが、人影が途絶える瞬間を狙って撮影した貴重なものである。なおミナミとは、大阪市中央区、浪速区、天王寺区などを中心とした街の総称で、オフィス街を主体としたキタ(梅田)と対照的に、歓楽街を主体としたエリアとなっている。
ちなみに本学園においては、深夜の行動はもちろん、繁華街に出向くこと自体推奨されない。この日は音楽活動と校外学習の一環として、特例であったことを付け加えさせていただこう。
また、実際のライブ会場で演奏する画像もある。これは知り合いの歌手のライブに、サポートメンバーとして参加した時のものだ。私は「学生陰陽師」というコンセプトのステージファッションで登場した。夏服の学生服を着てギターには呪符が貼り巡らされているという、そもそもどこに行っても注目を浴びてしまう出で立ちであったが、会場は心斎橋の高級ライブハウスで、紳士的な大人のムードが漂う空間であったため、とんでもなく異彩を放っていたに違いない。
そして電話中のシーンや鏡の前でポーズをとるシーンは、当時出演させてもらったポップカルチャーイベントでの控室で撮影したものだ。イベント全体の主催者は何と「関西国際空港株式会社」で、後援には近畿運輸局・大阪府・大阪市などの行政機関も並び、とてもお固いイベントかと思いきや、そのコンセプトは「オタク文化を関西空港に集結させる」であった。
実際に行ってみると、空港はとても綺麗で斬新なデザインの建造物が多く、私好みの場であった。空港全体がイベント会場となっており、あちこちで複数の催し物が同時開催され、まさにお祭り騒ぎだ。結果、空港内は無数のコスプレイヤーやステージ衣装を着けたままの出演者に占拠されてしまっていて、本来の空港利用客がどこにいるのか分からなくなるほどであった。機能的でシャープな構造の建屋と、集結した色とりどりのコスプレイヤーが不思議と融合し、現実離れした空間を作り上げていた。
私も学生服に呪符ギターを携え、顔が全面隠れるバイザーを装着して付近を散策した。ここは世界的な空港であるため、普段は警備も非常に厳しい。本来ならこのような格好で歩こうものなら直ちにセキュリティから声がかかるだろう。しかしこの日ばかりは当然お咎めなしで、とても貴重で楽しい体験であった。
このように歓楽街・高級ライブハウス・国際空港へと赴き校外学習を行ったわけだが、これらは「人生の修行」でもあるため、当時の写真を『修行僧』のミュージックビデオに収めた次第である。
アニメーション部分も加えた全体として、バラエティーに富んだ構成になったのではなかろうか。
さて、本曲の解説はこれにて完結だが、ここで一つ連絡事項がある。
12月の楽曲解説はお休みをいただき、代わりに、現在制作中の楽曲についてアナウンスする予定だ。タイトルは『走馬灯』。この季節にぴったりのスローでアンビエントな曲調であるが、エレクトリックな彩りが満載で、賑やかさも感じられる筈だ。
ではまた来月お会いしよう!
とはいえ私は、完全なミニマリストになった訳ではない。そもそも私の場合、それは難しい話である。なぜなら室内には、楽曲制作のための楽器やエフェクター、スピーカーその他の多くの機材が置かれ、ケーブル類の配線も無数に張り巡らされているからだ。音楽を作る活動自体が、物のない生活とは対極に位置する。なのでミニマル完全主義は断念したのだった。
私が減らすべき物とは「ストレスの要因」や「本業を邪魔するもの」であって、そうでないものを無理に減らす必要はない、という結論に至った。
物が多過ぎてそちらに意識と手間が取られるようではいけないが、無理してあまりにも物を少なくしても、却って生活し辛くストレスに感じてしまうなら本末転倒だ。何事も中庸を保つことが理想である。
物に執着することなく身軽に生き、今あるものに有難みを感じる。これこそ精神修行の在り方だ。『修行僧』とは、そんな思いを込めた曲である。
つづく
次回更新日は11月26日(金)
テクノポップ部分とハードロック部分のメリハリを極限まで強化した『修行僧』。今回は、そのための工夫をいくつか紹介していこう。
まずはテクノポップ部分だ。主に四つ打ちのダンス系ビートで構成されているが、ハードロック部分との対比を考慮して、あまり派手過ぎるサウンドにはならないようにしている。また本学園の楽曲は基本的に、ダンスミュージックとして大勢で踊って楽しめるように制作しているが、逆に部屋で一人聴き込んで非現実的な世界に没入し、癒し効果を得ることも想定している。よって過剰な高揚感は避けるべく、音色選びにはかなり気を遣った。
一例として、イントロを始めテクノポップ部分の大半で鳴っている効果音も控え目な音色と音量になっている。これはスクウェアウェーヴ系の音色だが、トゲトゲする程まで高音域を強調せず、あくまで伴奏に徹する意識を心掛けて作った。ご興味のある方は、2:17~2:21の間では聴き取り易くなっているので確認していただければと思う。
ドラムパートについても工夫を凝らしている。本物のドラムセットでは、曲の途中で個々の楽器を入れ替えることは難しく、一曲を通じて同じ音で鳴らすのが一般的である。だがここは打ち込み音楽の特権で、学園催の曲では複数の種類を場面に応じて使い分けることがよくある。
今回のテクノポップ部分では、特にオーソドックスで電子音楽に適した分かり易い音源を選んだ。ここは機械的であればあるほど良い。一方、ハードロック部分は正反対の要素、つまり生バンドサウンドの再現を試みた。これにより機械的vs人間味、というコントラストを強調している。
ハードロック部分のドラムは、生ドラムをサンプリングした音源から厳選したのだが、より気を遣ったのがその鳴らし方だ。
生身の人間が実際にドラムを叩く場合、どうしても均等に演奏することはできない。音の強弱やタイミングには必ずバラつきが出てくる。特にスネアドラムではスティックが当たる場所によっては音色までも変化する。こういう不均等さこそが人間味であり、バンドサウンドの醍醐味と言えるだろう。
この曲ではそういった要素をなるべく再現するよう試みた。もちろん私はドラマーではない。だがかつてのバンド時代には、スタジオ練習の休憩時間に時々ドラムを叩かせてもらって、一応の感覚を掴んでいた。それをヒントに、より人間に近いプレイを想定して音符を打ち込んでいったのだ。かなり面倒な作業になったが、その効果は十分に出ていると思う。
次に、ハードロック部分のギターリフである。お聴きのとおり、なかなかのヘヴィな仕上がりだ。
チューニングは通常のレギュラードロップDチューニングだが、それ以上の重厚感を演出するため、少々意外ともいえる弾き方をしている。
通常このようなヘヴィーリフを弾く場合は、低音の6弦5弦を同時に鳴らし、分厚さを稼ぐものである。これはパワーコードと呼ばれ、ハードロックやメタルにおいては定石的な奏法である。
私も最初は、このリフをそのように弾いていた。だが、自身でイメージしているほどの厚みが出ていない。頭の中の完成図ではもっとガツン!と来ているのに、なぜだ……。
何とかそのレベルまで引き上げるべく、弾き方を変えつつ何パターンか録音しては聴き比べる、という試行錯誤を繰り返したところ、ある手順で弾いたフレーズに厚みが増して聞こえるものがあった。
それは6弦と5弦を、常に同時に弾くという従来のパワーコード奏法ではなく、時折バラけさせて弾くアルペジオのような奏法を織り交ぜるというものだった。
アルペジオ的奏法は本来、音を軽くする筈なのだが、何故かヘヴィーに聞こえるという…。この矛盾にも思えるようなこの現象が起きた理由は、明確には分からない。だが実際、分散して鳴らした音の残響が、共鳴するかのように重厚感を演出してくれたのだ。このフレーズ、このサウンドセッティング、他の楽器との兼ね合いといった様々な条件が、たまたま重なったのかもしれない。
ともかく試行錯誤すること自体の持つ重要性を再確認できた。何かしら糸口は見付かるものだ。ことに音楽は正解のない世界と言われているので、より意味があると思う。このような経緯で、本曲のギターリフは出来上がっていった。つづく