2022年1月1日

部活動、始まります!

こちらは学園催の部活動「音楽研究部」の発表の場です。
歌曲の詳しい解説や、中宮貞子の音楽論を掲載していきます。音楽研究部内には、器楽班、映像鑑賞班などがあり、各班の研究成果も発表されます。

本学園のカリキュラムと共に、こちらの部活動もご一緒に楽しみましょう😄

2020年9月25日

楽曲解説 『映写機』 第1話 - 化粧

作曲開始1997年
Key = C# マイナー

この楽曲の原型が出来上がった1997年頃、私はヴィジュアル系バンドを組んでいた。当時のヴィジュアル系は、大きくは二つの方向性に分かれていた。主流となっていたのは、美しさを前面に押し出すものだ。そしてもう一方では、ホラー要素が強く、恐怖感を煽るようなバンドも存在した。私のバンドは当然、後者である。

ヴィジュアル系の発祥は80年代で、かつては「お化粧系」、「お化粧バンド」などと呼ばれていた。見た目が一番のウリだと思われがちなのだが、実は、ライブハウスシーンにおいては、音楽性や演奏力において非常に優れたバンドが多かったのだ。
中性的なルックスとは裏腹に、演奏ではハードロックやヘヴィーメタル、或いはパンクロックやグランジ等の、攻撃的なジャンルを基調としたハードなサウンドが絡み合う。そのコントラストが魅力となっていた。

こういった骨のあるバンドが大勢を占めていたにも関わらず、世間一般ではあまり音楽性には注目せず、TV番組などでもルックスばかりが取り上げられており、とても勿体無いと感じていた。私に言わせれば、むしろヴィジュアル系自体が、サウンド面において優れたカテゴリーだったのだ。

またヴィジュアル系は、日本発祥の、日本独自の、日本が世界に誇るカルチャーであると私は考えている。
もちろん海外にもヴィジュアル系に分類されるようなアーティストは存在していたし、実際彼らに影響されて日本のヴィジュアル系が確立していったとも言える。 しかし、私がそれでも「日本発祥・日本独自」だと思う理由は、その世界観とアレンジ力にある。日本人はしばしば、海外から取り入れたものを上手く消化し、練り上げ、再構築し、気付くと本家をも超え、更に発展した姿で世に送り出す、という能力を発揮する。車や電子機器などがその好例だ。
ヴィジュアル系も、まさにこうした経緯で独自に発展していったのだ。

元々は海外のグラムロック等を手本としていた筈だが、「元祖」と呼べる程の完成度で全世界を席巻し、今や海外の人々が熱烈に愛してくれているほどまで進化した日本のビジュアル系バンド。そこにはアニメや漫画などにもみられるような、奥深い世界観や物語性を追求する姿勢が反映されていると思うのだ。
そのあまりに広大な世界観ゆえに、サウンドの完成度があまり話題にならなかったとしたら、皮肉なものである。


さて私が組んでいたバンドにおいては、ホラー系でかつ、攻撃的で威嚇的な世界観をコンセプトとしていた。
サウンド面でも、メタル系のゴリゴリのギターリフやトリッキーなプレイを炸裂させ、ジャンル的にはインダストリアルと呼べるものだった。メンバーも厳つい男子5人組で、ツインギターであった。ちなみに私がバンド活動でツインギターを演ったのは、この時だけだ。

このツインギターには役割分担があり、私は先程述べたようなゴリゴリのヘヴィーリフ等の音楽的な面を担当し、もう1人はワーミーペダルを筆頭にありとあらゆるエフェクターを駆使し、効果音的な面を担当した。この2人のタッグで、ダークで重圧的でありながら、未来的でサイバーな世界が広がるサウンドを作っていたのだ。

この頃の私はまだ、電子音楽には携わっておらず、生バンドサウンド一色であった。だが、電子音楽への情熱は人一倍あったので、生楽器のみでの演奏にも関わらず、打ち込みのテクノグループかと思わせる程のサウンドを構築することに傾注していた。
なお現在の『映写機』も、その様子が伺える作りになっている。ハードロックでありながら、テクノの様相も見せる、というあの時描いたイメージが反映されている。

この曲は当時のメンバーからの評判が良く、またバンドのセットリストの中でも一番キャッチーな曲調だったので、演奏する機会も多かった。そういうこともあって後年、学園催でもリバイバルすることにしたのだ。
しかし、本学園でリメイクするにあたり、一つ問題が発生した…。

(つづく)

次回更新予定日は 10月23日(金)

2020年8月28日

楽曲解説 『羅生門』 第3話 - 初心

皆さんは「四神相応」という言葉ご存知だろうか。
これは風水の概念の一つで、平安京を築くにあたり採用された都市形成の考え方である。
四神とは中国の神話に伝わる方角を司る霊獣で、それぞれに対応する方角と地形が次のように定められている。

  • 朱雀 -(南)  池・湿地帯・窪地
  • 青龍 -(東)  川などの流水
  • 白虎 -(西)  大通り
  • 玄武 -(北)  丘陵・山脈

この考えに則り都市を形成すれば、永く繁栄すると伝えられている。実際、平安京は1200年もの長期に渡り都であり続けた。やはり何らかの力があると感じずにはいられない。

本歌曲が収録されているアルバム『陰陽師』は、平安京を舞台に 朱雀→青龍→白虎→玄武、と京都の街を南から北へ順々に巡る「ミステリーツアー」をコンセプトとしている。歌詞カードに記された地図を眺めつつ、それぞれの名所にまつわる12の歌曲を旅行感覚で楽しめる構成になっている。

羅生門は正確には「羅城門」と記し、読みは「らじょうもん」となる。羅城とは都を取り囲む城壁を意味し、その城壁の最南端の中央に設けられた門が、都への入口に当たる。いわば平安京の正面玄関、始まりの場所なのだ。

つまり本歌曲は、旅の始まりという重要な地点を担う歌曲である。
歌詞の内容も、何らかを習得する為には、あるいは後悔なく生きる為には、基礎が重要であると謳っている。



ところで、私の座右の銘の一つは、「初心忘るべからず」という格言だ。人生の中で様々な課題に取り組んでいると、壁にぶち当たることがある。そんな時にふと初心に立ち返ると、解決策が見えてくるのはよくあることだ。
しかし多くの場合「初心に返る」ことができるのは偶然で、意図的にこれを行うのは難しい。

一方、「始めよければ終わりよし」「終わりよければ全てよし」という諺もある。
どちらも大切で、二つで対を成すと捉えるのが妥当だとは思うが、もしどちらがより大切かと聞かれれば、私は前者の「始めよければ終わりよし」だと答える。

この諺の一般的な解釈は、

最初がうまくいけば最後まで上手く事が運ぶものだ
だから最初は慎重にとりかかるべきだ

というものである。
だが考えてみれば、誰しも初めてのことに対しては、おっかなびっくりで慎重にとりかかるのが普通ではないだろうか。わざわざ諺にしてまで戒める必要がないようにも思える。
一方、何度も繰り返していることは、手際よく行えるかもしれないが、そこには油断や慢心が潜り込み、思わぬ失敗に繋がる可能性もある。

人間というものは、ゴールのイメージはしやすい。自分の成功した姿を思い浮かべたり、最後の一手を気を引き締めてやろうという意識は容易く持てるものだ。
しかし、日常の中で毎日、「今日が初日だ」という気持ちで挑める者は数少ないだろう。多くは時と共に、成長と共に、初心を忘れてしまいがちである。特に成功の度合いが高いほど有頂天になり、重大な判断を誤ってしまうことだってある。

そこで私は、何かのスタート時だけでなく、事あるごとにこの諺を思い出し、いつも襟を正すという使い方が有効だと考えた。始めたばかりの「謙虚な心」で常に行動することにより、「終わりよし」に繋がっていく。まさに「初心忘るべからず」である。

どんなに達人になろうとも、毎日「始めよければ終わりよし」という、まるで今日初めてやるかのように初々しい気持ちで挑みたいものだ。退屈な基礎が一番重要なのだが、上達するに連れそれを忘れていってしまう。そうならない為にも、聴く度に思い出させる歌曲を作ろうとの思いから、この『羅生門』が完成したのである。(完)

次回更新予定日は 9月25日(金) 

2020年7月24日

楽曲解説 『羅生門』 第2話 - 忍耐

前回述べたように、元々この曲はアルバムオープニングを飾るインスト曲として制作を始めた。理由は、私の好きなハードロックバンドの数々がよくアルバムで採っているスタイルだったからだ。つまり1曲目は歌なしのSE曲で、2曲目からガツンと勢いある曲が来る -これが演りたくてたまらなかったのだ。
ところが『羅生門』は、SE曲ではなく通常のメロディー曲としての歩みを始め、私は葛藤の中にいた。

しかし改めて考えてみれば、学園催はテクノポップユニットであり、ヴォーカルは女性である。ハードロックバンドが好んで採用する形式にこだわっても仕方ないと思い直した。むしろバンドカラーからすると、1曲目は普通に歌曲で始まるのが妥当とも思われた。そもそもオープニングSEから始めたとして、一体どれぐらいの人が良いと感じてくれるかも疑問である。自分の嗜好を一方的に押し出したところで、誰の心にも響かなければ意味がない…。
そうこう考えているうちに、サビのメロディーが出来上がってきているではないか。もうこれはおとなしく歌曲でいくしかない状況である。

我(が)を通せば、一時期は上手くいくかもしれない。だが、長い目で見ると必ず綻びが生じるものだ。ならばここは気を収めるために、自分は今修行しているのだ、と思うことにした。我を出さない修行、メンバーの意見やバンドカラーに合わせる修行、自己満足を控える修行の最中である、と自身に言い聞かせながら作業をしていった。

創作活動にも通ずる格言で、「自分のやりたいことをやれ」とか「本当にやりたいことだけを貫け」といったものがある。このような志を持つことは大切だが、周囲との兼ね合いを意識することが大前提だと考えている。特に音楽作品の場合、自分のやりたいことよりも、聴き手がどう感じるかを重視すべき局面が多々あるだろう。
もし仮に私が、これらの格言通りに信念を貫いてしまったなら、殆どの楽曲が派手なテクノサウンドで厳ついヘヴィーリフが炸裂し、ヴォーカルはエキセントリック、そして曲中の随所でサイバーなSEが鳴り響くという、とんでもない世界観の作品が並んでいた筈だ。

私は、音楽作品とは一言で何か?と問われたら、「妥協と忍耐」と答えることにしている。実際、制作活動はこの連続である。一体何が楽しくてやっているのかと思われるほどである。自分の本当にやりたいことは中々出来ないものだ。

ところが、これには利点も存在する。
例えば一つのグループを長年継続した時だ。
一般に、活動年数が長くなりキャリアを積めば積むほどカリスマ性は高まり、ある程度自由な事が許されるようになってくる。活動歴がまだ浅い時期には、実験的な作品や自己満足的な作品はなかなか作らせてもらえないものだが、ベテランになれば可能になることも多い。
しかしそうなった途端、せっかく今まで一貫性を保っていたコンセプトや世界観があっけなく崩壊してしまうことがある。全てとは言わないが、そのような結果を迎えた事例を多々見てきた。あるいは、カリスマ的な地位を確立する以前から自分の好みを押し出し過ぎて、早々に何がしたいのか分からない有様になってしまうケースも存在するだろう。
一方、妥協と忍耐を心に掲げて創作活動に専念するならば、こういった崩壊は防げる筈だ。辛抱しただけの恩恵は十分にあると考えている。

別の例として、私がライブハウスで活動していた当時の話をしよう。ライブ本番の心得として「観客を楽しませるためには、まず自分が楽しまないといけない」というような言葉をよく耳にした。確かにこれは尤もな考え方である。
だが私の場合は、心の底から楽しみながら出演することはほとんどなかった。実際は、演奏にミスが無いように注意を払ったり、観客の反応を気にしたりで、それどころではないのだ。謂わば会社で仕事をこなしている時と同じような心境である。与えられた職務や課題に黙々と取り組むだけ。そこにはハイテンションで楽しいお祭りムードらしきものはない。
ところが、そんな心境でのパフォーマンスの方が、評判の良いことが多かったのだ。先程の創作活動の話と同様である。

これには深い意味がありそうだ。もしやこれが、仏教でいう「自我から離れた境地」ではないだろうか。自分というものを消して、与えられたものに無心で取り組む。まさに修行僧の境地。
そうして我を超越した瞬間に、妙(たえ)なる力が降り注ぎ、素晴らしい作品や演奏が具現されるのかもしれない…。
そんな考えを抱きながら『羅生門』の制作を進めていった。 

第3話につづく
次回更新予定日は 8月28日(金) 

2020年6月19日

楽曲解説 『羅生門』 第1話 - 前身

作曲開始2005年
Key = B メジャー


アルバム『陰陽師』の第1曲目。
元々このアルバムは、オープニングSEから始めることを想定していたので、短めのインスト系の楽曲として作り始めた。歌は入れずに、前半にギターリフとラップ、そして、後半に未来的なイメージの効果音が鳴り響き、そのまま第2曲目に繋がる、といった構成を考えていた。サビは勿論のこと、AメロもBメロも、とにかくメロディーの要素は入れず、純粋なオープニングSE曲にするつもりだった。
ドラムやベースの音色は、機械的で無機質な印象のものを選んで打ち込みを開始した。やがてインダストリアルな世界観が形成されてゆき、「これぞまさにSE曲!」とその時点では満足していた。

ところがだ……
「SE曲にする!」という意識が強過ぎたのか、改めて後日、シーケンサデータを冷静に聴き返すと、あまりにも度を超えてけばけばしいサウンドになっている事に気付いた。ちっぴからも同様の感想があった。
特にベースの音色が派手で、かつチープでもあり、先に述べたような「機械的で無機質」なイメージ戦略が却って仇となっていた。つまり、せっかくの機械感が良い効果を出さずに、単に派手でありきたりな方向に行ってしまっていたのだ。

一般的に「無機質な音」といえば、「控え目でシンプル」、「使い勝手が良さそう」といったイメージが浮かぶかも知れないが、常にそうとは限らない。ここが音楽の難しさでもある。無機質なサウンドは諸刃の剣。程良い未来感を演出してくれる場合もあれば、単なる悪目立ちで終わる場合もある。今回はまさに後者であった。

結果、打ち込んだ直後は「サイバーで素敵」と感じられていた音が、ことごとくコレは違う…と認識され始めた。そこで急遽、ドラムやベースの音色を主張の少ないソフトなものに差し替えることにした。
なるほど!これだと安定した音世界が成立している。特有の下品さが無く、ポップスらしく聴きどころある仕上がりになっている。
何と言っても、聴き易さが倍増している!
ウム!これなら良い感じだ、これで行こう。
…と思った。
が、しかし!
これではもはや、SE曲っぽさがすっかり消失しまっているではないか。アルバムのオープニングを景気付けるための短い曲、という雰囲気ではない。それこそ何らかのメロディー部分が無いと盛り上がりそうもない。
さてどうするか……。
(つづく)

次回更新予定日は 7月24日(金)

2020年5月22日

楽曲解説 『第六感』 第3話 - 編曲

『第六感』最終話となる本稿では、編曲について語ろうと思う。

第1話で述べたように、かつて所属していたバンドでは、テイストに合わないということで冬眠を余儀なくされた本歌曲。だが時々思い出しては、アレンジのアイデアなどをノートに書き留めていた。「元々のハードロックな曲調から、ここをこう変化させたら面白いかも」、といった内容である。
2017年頃には、テクノポップに仕上げるという方向性がある程度まとまったので、試しに打ち込んでいるうちに、徐々に形が出来上がってきた。ちっぴが歌うシーンを想像しながら制作を進めていった。

この時の編曲コンセプトは、「よりテクノ色を強めるため、ギターの生演奏は入れずに全て打ち込み楽器のみで完成させる」、というものであった。本来、テクノというジャンルは、特に意図がない限り、生楽器は入れずに打ち込みだけで完結させるのが主流だからだ。
ただし私はバンド出身者なので、伴奏にはギターを入れるのが当たり前という感覚がある。しかし今回は敢えて、この「当たり前」を打ち破り、新たな境地を切り拓いてみるのも良いのではないかと考えた。
つまり、得意のギターを置いて、純粋なテクノサウンド作りに挑むことにしたのだ。これは本学園としては稀な形式となる。現時点においてギター演奏が入っていない歌曲は、アルバム『陰陽師』に収録されている『出町柳』のみである。

ただしこの曲のアレンジは、アルバム内の一曲ということを前提としたものだった。12曲の中の一つなら、ギター無しの曲も、全体の流れに変化を付けるという意味で成立しやすくなる。だが単独でリリースする曲の場合、 また話が違ってくるのだ。
シングル曲においてギターを入れないのなら、それを補うべく音数や音色の彩りが重要となってくる。今回は、本格的かつ純粋なテクノ楽曲を作るのだ!という意志と覚悟のもと、アレンジを進めていった。
数日後にはある程度、イメージ通りのものが出来上がってきた。そこには煌びやかでエレクトリックな世界が広がっている。「これは良いものが出来た!」とその時は思っていた。これなら、ギターが無くとも聴き応えのある歌曲を作っていけそうだ。今後もなるべくこのスタイルを精力的に取り入れていこう、とも考えた…。

しかし、このアレンジをちっぴに聴いてもらったところ、根本的な指摘があった。それは、「確かにエレクトリックで夢のあるサウンドだが、派手で音数も多いため、一番肝心の歌が聞こえにくくなると思う」というものだった。
なるほど、確かに本作は歌ものである。「歌を聴かせる」のが大前提だ。だがこの編曲だと、インスト曲として聴くなら良いだろうが、明らかにボーカルの邪魔をしていた。
どうやら、 「ギターを入れずとも聴き応えのあるものを作ってやる!」という意気込みが強すぎて、過剰に作り込んでしまったようだ。本来テクノというものは、ボーカルではなくサウンド全体で聞かせるのが目的となるので、音数が多く煌びやかなアレンジがそのままプラスに働く場合が多い。だが歌ものとなると、そうはいかないのだ。

ひとまずの対処としては、アレンジは変えずに各種エフェクトをかけることで、何とか改善できないか試すことにした。だが歌の邪魔となる要素は依然として残り続け、音色を差し替えてもみたが、しっくり来ない。
そこで最終的には、伴奏のメインとなっていたパートを廃止して、普通にギター演奏を入れる事になった。気合を入れて打ち込んだパートなので未練はあったが、ともかくギターフレーズを作り、レコーディングしてみた。
そうして出来上がったものを聴いて驚いたのは、生演奏に切り替えただけで、何とも自然に歌が聞こえてくるようになったということだ。更に、ギターの生演奏という粗削りで人間味のあるテイストが、他のエレクトリックな楽器と融合して、実に学園催的なサウンドになっているのだ。

「ああ、やはり学園催の歌曲は、こうすべきなんだな」と改めて初心に還るような気持ちになった。もちろん新境地の開拓は大切ではあるが、変えてはならない部分もあるのだと気付かされた。
私は元々生バンドで活動していた人間だから、曲作りの際にもやはり、「生演奏」は外せない何かがあるのだと思う。コンピュータを駆使する打ち込み曲であっても、何かしら生の楽器を入れるというのが、私にとっては自然な状態なのかも知れない。
今回の制作は、生演奏の力、自分本来の曲作り、そして自分らしくある、ということの重要性を再確認し、とても思い出深い体験となった。

長きに渡る制作期間と試行錯誤の末、やっと日の目を見た本歌曲。まだまだ話したい事はあるが、本稿ではこのぐらいにしておこう。また話がまとまった暁には、外伝として追記する所存である。(完)


次回更新予定日は 6月19日(金)

2020年5月1日

楽曲解説 『第六感』 第2話 - 歌詞

第1話では、作曲の経緯や音楽的な内容について述べた。それらに関してはまだまだ伝え切れないものはあるのだが、ここではタイトルについて少し触れたい。

この曲は、メンバー間では「テレパシー」と呼んできた。作曲開始当初(1991年)に付けたタイトルである。曲調は幾度ものアレンジ改変を経て変化してきたが、タイトルだけは当時のまま使い続けている。
海外版でのタイトル表記は "Telepathy" である。これをそのまま日本語にすれば、「思念伝達」「精神感応」などの四字熟語となり、本学園の三字熟語ポリシーには沿わない。一方、三文字の「第六感」は、大きな括りとしてテレパシーも含むことから、曲名として採用することとなった。

また、歌詞についてもお話しておこう。
こちらも曲調と同じく、制作開始時からはかなりの変遷を経ている。舞台は学校、教室での一幕となっている点は変わっていないが、当初はもっと普通の恋愛ソングに近かった。それが年月の経過と共に、より重いテーマが徐々に盛り込まれていったのだ。

その主だった変更はここ数年で大幅に行われた。作詞のクレジットが、「貞子+ちっぴ」となっているように、ちっぴと共に改作していった部分が大きい。元々私が作った歌詞の中で、改善の余地がありそうな箇所をピックアップしてもらい、彼女の意見をもとに改良していくというやり方である。二人で改良した部分や、ちっぴだけで改良した部分もある。

この方式での歌詞変更は、実は歌曲『不登校』でも行っている。いずれも私の視点だけで書かれた時よりも、女性の感性が加味され、柔らかさや可愛さ、優しさなどの要素が増し、良い仕上がりになったと感じている。今後もこの方式は度々採用していこうと思っている。

ここからは、そうして完成した歌詞の内容に関する話である。

もしテレパシーという特殊能力を手に入れたら、皆さんはどうするだろうか?普通では訊けないアレもコレも知りたくなるだろうし、実行に移す人達もいるかもしれない。
となれば、この曲のテーマはいわゆる人間の心の闇なのか、と解釈される向きもあるかもしれないが、主旨は他にある。すなわち、どんな優れた能力でも、濫用はせずに程々にした方が良いよ、ということなのだ。

思うに人生における失敗とは、途轍もなく大きな過ちを一発やらかして復活不能に…、というよりは、小さな悪癖がついついやめられずに、気付けば取り返しのつかないところまでエスカレートしていた、といったことの方が圧倒的に多いのではないだろうか。もしも超能力を手に入れてしまっても、後者のような結末を迎える可能性が高いと思う。
別に超能力でなくとも、現実的な事柄においても同様である。人間というものは、地位やスキルが少しでも高まった途端、つい油断したり有頂天になったりしがちだ。まあそれでこそ人間である、と言えなくもないが、出来れば避けたいところである。
そこで本歌曲は、「自身の能力が向上しても有頂天にはならぬように」と自制を促しているのだ。

歌詞にはもう一つ、メッセージが込められている。それは現代の情報社会への警鐘である。
インターネットが普及してからというもの、そこで行われている情報のやりとりは、ひと昔前からすれば、いわば超能力レベルである。この世の全てを知ることが出来るような錯覚さえ起こしかねない。
だが、やはり何事も程々である。ネット社会の悪影響の一つとして、知らなくて良いことを知ってしまう、ということがある。そこには様々なリスクがある。余計な不安を助長したり、不要な怒りを生んだり…。昨今問題視されているストレス社会の一因であろう。

「昔は良かった…」という年配者の口癖のような台詞があるが、私はここに言葉以上の重みを感じ、真実を含んでいるように思うのだ。
「古き良き時代」とはよく言うが、この歌曲を作り始めた1990年代初期は、日本全体が好景気に沸いており、みんな毎日がお祭り騒ぎのように盛り上がっていた。まだネットも携帯電話も一般化しておらず、現代から比べれば随分不便な時代であった。2000年以降に生まれた人からすれば、想像を絶するほど原始的な生活スタイルかもしれない。
それでも、人間自体はイキイキしていて、元気で、世の中全体に明るさがあった。情報伝達手段が限られていたからこそ、現代のような人間関係の問題やギクシャク感が著しく少なかったのも一つの要因であろう。知らなくて良いことを知らないままでいる特典とも言える。

現代は、やりたいことは何でも可能だと思える程の時代。ひと昔前なら魔法と思われたことが、今、普通に可能になった。これは本当に喜ばしいことであり、私自身もこの利便性を享受している。だが個人的には、かつての元気さや明るさが翳ってしまっているように見えるのが気になっている。そんな気持ちを抱きながら書いたのが、この曲の歌詞である。

第3話につづく
次回更新予定日は 5月22日(金)

2020年4月10日

楽曲解説 『第六感』 第1話 - 誕生

作詞:貞子 + ちっぴ
作曲編曲:中宮貞子女帝
作曲開始:1991年
発表:2020年4月4日
Key = E メジャー

ようやくこの歌曲を発表する時が来た。
発案・作曲開始は1991年に遡る。曲自体は1994年には一旦完成していたのだが、様々な事柄が絡み、日の目を見ないまま、時だけが過ぎていった。

元々のキーはE♭で、しかもチューニングは6弦と5弦の両弦だけを半音下げにする、という特殊な調弦法で演っていた。この頃はやたらと変則チューニングに凝っていたのだ。
曲調は通常のハードロックのアレンジであった。イントロからヘヴィーなリフが炸裂するかなり攻撃的なサウンドで、ダークな印象すらあったのだ。その理由は、当時の私はまだ、生バンド真っ盛りの時代だったからだ。私はギター担当である。厳ついリフから少しずつ作り始めたあの頃が、昨日のように思い出される。

その頃の音楽シーンは、好景気の勢いも相まってJ-POP史上最大とも呼べる空前のバンドブーム絶頂期であった。現在からは想像もつかない程の狂喜乱舞な世界だったのだ。どこもかしこもバンド一色で、私自身もロック以外は考えられない程の熱中ぶりであった。
だが、私の中では、なぜかこの歌曲は「電子音楽系の楽曲に仕上げたら面白いだろうな」という強い想いが既に漂っていたのだ。電子音楽系と表した理由は、まだこの頃はテクノという言葉を、私自身は使っておらず、シンセサイザーを駆使したエレクトリックな楽曲をこのように呼んでいた。

その想いはともかく、まずはバンドで演奏しないといけないので、それに適した形態のアレンジでデモを作り、当時のバンドメンバーに聴かせた。この時のヴォーカリストは男性である。曲自体は好評ではあったが、なぜかライブのセットリストに入ることはなかった。それどころかスタジオ練習でも2~3回合わせた程度だった。考えられる理由は、まずチューニングが複雑なのと、あとは、まあ…、メロディーが結構ポップだったから当時のバンドカラーには合わない、などといったところだろう。また、女性ヴォーカル向けの雰囲気だ、とも言われた。
前述の通り、テクノ的な楽曲に仕上げたいとの想いから、メロディーがかなりポップになっており、バンドメンバーにはそれがミーハー的に捉えられ、お気に召さないという者も結構居たのだ。バッキングはヘヴィーで厳ついのに、メロディーはポップ、というのが当時としては、受け入れ難かったのだろう。

その後、1997年に本学園の前身となる男性4人組ロックバンドが結成され、その際にも本歌曲が浮上した。だが、スタジオ練習で数回演奏しただけで、やはりライブ等で演奏される事はなかった。この時のヴォーカリストはかなり硬派な人で、メロディの雰囲気や歌詞の内容が彼のキャラクターと合わないという事で自然にセットリストから外れていったのだ。それを最後に、本歌曲は暫し、長い冬眠に入ることになった……。
(つづく)

次回更新予定日は 5月1日(金)

2020年3月20日

楽曲解説 『陰陽師』 第3話 - 所感

前回は、創作上の陰陽師と実際の陰陽師の在り方についてお話した。今となっては確実なことは言えないが、近からず遠からずというところだろう。

歌曲『陰陽師』を作るにあたっては、このような「華美ではないが、実は世を支配する黒幕」という世界観をモデルに作曲した。そしてD♭マイナーという、通常のポップスではあまり使われないキーで奏されている。ちなみにハードロックやメタルでは、弦楽器のチューニングを半音下げにする場合が多いので、聞こえ上はD♭マイナーになり、それほど珍しくはないキーではある。しかし普通のポップスでは、特段の理由でもない限り、わざわざこのような微妙なキーで演ることは少ない。ともかく、このD♭マイナーのお蔭で独特の暗さが出ていると思う。

また当時は、この歌曲を主体としたアルバムを制作する事は全く想定していなかった。アルバムのタイトル曲にしては、少々地味で控え目な雰囲気にも感じていた。現に、アルバム『陰陽師』には、派手でインパクトの強い歌曲は沢山ある。むしろそれらの方がタイトル曲と言っても良いほどだ。だが、先述の「黒幕的」な世界観に従えば、この『陰陽師』がタイトル曲で良いのかも知れないと考えた。
また、一つの曲にかなりの年数をかけてじっくり作り込むスタイルの私からすれば、この歌曲は作曲にかけた年数が短い。2年と数カ月で完成している。実に稀なケースである。だが、その割には底知れぬ暗黒の雰囲気が漂い、古(いにしえ)の深さが表れているようにも思える。
ともすれば、平安を生きた陰陽師から送られて来た霊験の賜物だろうか…。
(完)

次回更新予定日は 4月10日(金)

2020年2月28日

楽曲解説 『陰陽師』 第2話 - 背景

ところで陰陽師と言えば、皆さんはどのような存在だとお考えであろうか?
現代では小説や映画などに登場し、容姿端麗で呪術や占術を駆使する、神秘的かつアイドルのような存在として描かれるケースが多い。しかし実際の陰陽師は、その限りではなかったようだ。やはり現代の作品においては美化され神格化されている面があるだろう。確かにその方が浪漫があり作品を楽しめるので、それはそれで素晴らしいのだが、今日は、陰陽師への違った視点、意外な一面に触れるのも良いのではなかろうか。

陰陽師を現代の職業に置き換えると、何に相当するだろう。まずは気象予報士が近いところではないだろうか。あと、政治家の側近のような仕事もしていたようだ。つまり、占術等を駆使し、天候を予測したり、政治経済の情勢を読んだりしていたのだ。いずれにしても非常に重要な役職ではあるが、映画等で描かれているような華麗さはなく、ごく堅実な職業であったと思われる。スター性や神秘性とは無縁の、地味な存在ともいえる。安倍晴明の肖像画を見ても分かる通り、華美な点は一切無く、ごく普通の真面目そうな男性だ。

しかし、私にはその方が魅力的に感じるのだ。なぜなら、まだコンピュータもなく科学技術も全然発達してなかった時代に、一見地味な人達が、天候を予測したり、世の情勢を捉えていたのである。彼らの言葉ひとつで国が動くのだ。途轍もない黒幕のような威力を感じずにはいられない。ハリウッド映画でもよくあるように、一見冴えない地味な男性が、実は世界を牛耳る黒幕だった、というパターンの意外性やギャップが好きである。実際の陰陽師もそのような存在だったように思えるのだ。

私が「陰陽師」というタイトルで歌曲を作る事になった時、初めは魑魅魍魎に対し呪術で闘う、いわゆる典型的な華々しい陰陽師の姿をテーマにして、アップテンポで、軽快かつ雅(みやび)な雰囲気のものにするという案もあった。
だが、やはり上述したように、自分が本来陰陽師に対して持っているイメージを重視し、黒幕的で、奥底から来る威力が表現できるような、ミディアムテンポで暗い歌曲に作り上げる道を選択した。

[第3話に続く]
再来週の更新はお休み。
次回更新予定日は 3月20日(金)春分の日