2022年1月1日

部活動、始まります!

こちらは学園催の部活動「音楽研究部」の発表の場です。
歌曲の詳しい解説や、中宮貞子の音楽論を掲載していきます。音楽研究部内には、器楽班、映像鑑賞班などがあり、各班の研究成果も発表されます。

本学園のカリキュラムと共に、こちらの部活動もご一緒に楽しみましょう😄

2021年9月24日

楽曲解説 『修行僧』 第2話 - 紆曲

テクノポップ部分とハードロック部分のメリハリを極限まで強化した『修行僧』。今回は、そのための工夫をいくつか紹介していこう。

まずはテクノポップ部分だ。主に四つ打ちのダンス系ビートで構成されているが、ハードロック部分との対比を考慮して、あまり派手過ぎるサウンドにはならないようにしている。また本学園の楽曲は基本的に、ダンスミュージックとして大勢で踊って楽しめるように制作しているが、逆に部屋で一人聴き込んで非現実的な世界に没入し、癒し効果を得ることも想定している。よって過剰な高揚感は避けるべく、音色選びにはかなり気を遣った。 

一例として、イントロを始めテクノポップ部分の大半で鳴っている効果音も控え目な音色と音量になっている。これはスクウェアウェーヴ系の音色だが、トゲトゲする程まで高音域を強調せず、あくまで伴奏に徹する意識を心掛けて作った。ご興味のある方は、2:17~2:21の間では聴き取り易くなっているので確認していただければと思う。


ドラムパートについても工夫を凝らしている。本物のドラムセットでは、曲の途中で個々の楽器を入れ替えることは難しく、一曲を通じて同じ音で鳴らすのが一般的である。だがここは打ち込み音楽の特権で、学園催の曲では複数の種類を場面に応じて使い分けることがよくある。

今回のテクノポップ部分では、特にオーソドックスで電子音楽に適した分かり易い音源を選んだ。ここは機械的であればあるほど良い。一方、ハードロック部分は正反対の要素、つまり生バンドサウンドの再現を試みた。これにより機械的vs人間味、というコントラストを強調している。

ハードロック部分のドラムは、生ドラムをサンプリングした音源から厳選したのだが、より気を遣ったのがその鳴らし方だ。
生身の人間が実際にドラムを叩く場合、どうしても均等に演奏することはできない。音の強弱やタイミングには必ずバラつきが出てくる。特にスネアドラムではスティックが当たる場所によっては音色までも変化する。こういう不均等さこそが人間味であり、バンドサウンドの醍醐味と言えるだろう。

この曲ではそういった要素をなるべく再現するよう試みた。もちろん私はドラマーではない。だがかつてのバンド時代には、スタジオ練習の休憩時間に時々ドラムを叩かせてもらって、一応の感覚を掴んでいた。それをヒントに、より人間に近いプレイを想定して音符を打ち込んでいったのだ。かなり面倒な作業になったが、その効果は十分に出ていると思う。
 

次に、ハードロック部分のギターリフである。お聴きのとおり、なかなかのヘヴィな仕上がりだ。
チューニングは通常のレギュラードロップDチューニングだが、それ以上の重厚感を演出するため、少々意外ともいえる弾き方をしている。

通常このようなヘヴィーリフを弾く場合は、低音の6弦5弦を同時に鳴らし、分厚さを稼ぐものである。これはパワーコードと呼ばれ、ハードロックやメタルにおいては定石的な奏法である。
私も最初は、このリフをそのように弾いていた。だが、自身でイメージしているほどの厚みが出ていない。頭の中の完成図ではもっとガツン!と来ているのに、なぜだ……。

何とかそのレベルまで引き上げるべく、弾き方を変えつつ何パターンか録音しては聴き比べる、という試行錯誤を繰り返したところ、ある手順で弾いたフレーズに厚みが増して聞こえるものがあった。
それは6弦と5弦を、常に同時に弾くという従来のパワーコード奏法ではなく、時折バラけさせて弾くアルペジオのような奏法を織り交ぜるというものだった。

アルペジオ的奏法は本来、音を軽くする筈なのだが、何故かヘヴィーに聞こえるという…。この矛盾にも思えるようなこの現象が起きた理由は、明確には分からない。だが実際、分散して鳴らした音の残響が、共鳴するかのように重厚感を演出してくれたのだ。このフレーズ、このサウンドセッティング、他の楽器との兼ね合いといった様々な条件が、たまたま重なったのかもしれない。

ともかく試行錯誤すること自体の持つ重要性を再確認できた。何かしら糸口は見付かるものだ。ことに音楽は正解のない世界と言われているので、より意味があると思う。このような経緯で、本曲のギターリフは出来上がっていった。つづく


次回更新日は 10月29日(金)

2021年8月27日

楽曲解説 『修行僧』 第1話 - 両極

作曲/編曲/作詞:中宮貞子女帝
作曲開始:2007年
楽曲発表:2009年
Key=Eメジャー

今回解説する『修行僧』は、私にとってかなり意味深い曲である。私個人としては、学園催の曲の中での再生回数は最も多いだろう。
何故それほどまでに思い入れがあるのか?

学園催の世界観の一つに、「相反する世界の融合」がある。これを具現化したものが、「ダーク&ヘヴィー vs キュート」という、両極の要素を包括したテクノポップだ。
この形態を採用している学園催の曲は、いくつか存在する。本曲をはじめとして、自閉症・清水寺・河原町・新学期などがそれである。いずれもハードロックに、ダンスやトランス等の要素を組み合わせたテクノポップで、基本的な構成は共通している。
どの曲も気に入っているが、特に『修行僧』では、そのメリハリが極度に強化されている。特筆すべきは、徹底的に攻め込むラップとヘヴィなギターリフの勢いで、ポップな部分とのコントラストをより際立たせている。

実はこれは、私が長年実現したかった音楽形態である。別々のジャンルの音楽を融合しようという構想は、バンド活動を始めた頃から既に持っていた。
私は昔から、ギャップやコントラストのあるものに心惹かれてきた。「飴と鞭」「陰と陽」など、相反する性質のものが同居しているという感覚が好きだったのだ。そこで、可愛らしいポップサウンドの直後に畳み掛けるように襲って来るヘヴィーでラウドなロックサウンド…これが成立したら相当愉快だろうな、と想いを馳せ、そういう曲を時々作っていた。
尤も当時は普通のロックバンドで、楽器と言えばギター・ベース・ドラム以外は考えられないというような環境で活動していたので、テクノ系の楽曲を演奏することはなかった。それでも、いつかは演ろうという思いで作曲だけは続けてきたのだった。

このようにギャップ好きだった私だが、そのこだわりは本学園が開校されてから更に強固になった。
というのも、「学校」とはコントラストの極致ではないかと感じているからだ。
学校は、生徒達が集まり「授業だ、休み時間だ、給食だ、部活動だ」という様子で賑やかな場所ではある。だが一旦皆が下校すると、その賑やかさが嘘であるかのように静まり返り、霊的なものが漂うかのような静寂が訪れる。なんとも強烈な陰と陽である。日中が賑やであればあるほど、夕方以降の静寂がより心霊的な雰囲気を感じさせる。
それが証拠に、いつの時代も学校には怪談や都市伝説的な話が付きまとっているものだ。霊を信じる信じないに関わらず、誰もが感じたであろうあの空気感。「陽」が強いほど「陰」の話も、よりスリルと深みが増す。
学校は最高に賑やかな場であり、最高に寂しい場でもあるのだ。同じ場所なのに、その様相は極端に変化する。まさに学校は、この陰陽を表す恰好且つ最高の舞台である。

そのような思いから、長年の構想が「ダーク+ キュート = 学園催テクノポップ」として、遂に実現したというわけだ。(つづく)

 

次回更新日は 9月24日(金)

2021年7月28日

楽曲解説 『井戸水』 第5話 - 同化

いよいよ『井戸水』の解説も今回で終わりとなるが、ここでは雅楽との関連を述べようと思う。

本歌曲は、雅楽のエッセンスを取り入れた意欲作である。その最大の要素は、前回熱く語った鳳笙の世界観だ。曲中で終始鳴らし続け、音量の緩急を付けながら曲全体を包み込む。

もう一つの要素は、『律音階』だ。これは雅楽などで使われる日本古来の音階である。
現在のJ-Popにも和風テイストの楽曲は多数存在するのだが、その殆どは『ヨナ抜き音階』を基調とした親しみやすいタイプだ。律音階を使った楽曲となると皆無に近い。なぜなら、ヨナ抜き以外の日本音階でメロディを作ろうとすると、ポップスとは呼びがたい仕上がりになるのが目に見えているからだ。だが敢えて『井戸水』では、霊妙な雰囲気を演出するために挑んだ次第である。

では逆に、本曲に取り入れることが出来なかった雅楽の要素とは何か?
細かいことをいえばキリがないが、ここでは大きなものを二つ挙げておきたい。

一番には、雅楽特有のテンポの緩急がある。
もちろん雅楽でなくとも曲の速さが変わることはある。ただし、曲中の特定の部分でテンポの変化があるとしても、残りのほとんどの部分では一定の速さで演奏される。
いっぽう雅楽の緩急の付け方はかなり特殊である。何と各々の小節ごとに、最後の拍(通常は4拍目)が間延びするのだ。間延びした後は、演奏者全員がその場でのフィーリングで呼吸を合わせ、次の小節に一斉に入って行く。日本人特有の「間」とでもいうべきか、実に感覚的な奏法だ。
それゆえ練習の際も、楽器の練習では必須ともいえるメトロノームが使えないのだ。

もし仮に、一般的な西洋音楽でこの奏法をやってしまうなら、相当聞き辛くなる。というか聞けたものではなくなるだろう。ところが雅楽に於いては、それが情緒や趣きを感じさせるのだ。独特の世界観である。

このようなテンポの緩急を『井戸水』に取り入れるのは、さすがに無理があった。本曲が基調としているのは、常に一定のリズムを刻むのが身上のトランスだ。ドラムを一定のテンポで発音させないと収拾がつかなくなる。異様というより異常な楽曲になってしまう!
なのでせめて、変拍子や変則的なタイミングで入る琴のフレーズなど、ランダム感のある表現を多めに入れることで、異次元感を賄ったのだ。雅楽の緩急には到底及ばないが、十分普通のポップスではない仕上がりにはなっただろう。

さてもう一つ、取り入れられなかった要素といえば、雅楽の調律である。
現代では、チューニングの際に「A(ラ)」の音高を440Hzに合わせるのが国際標準となっている。ポップスやロックなどのほとんどの曲においても440Hzになっている。
ところが雅楽では、「A」を430Hzに合わせるのだ。440Hzの「A」よりも低い。どれくらい低いかというと、「A」と「A♭」の中間くらいだ。この調律で鳴らす鳳笙の音色はとても趣深いものなのだが、440Hzで作られた曲の中に放り込むと、たいへん聞き心地が悪くなる。喩えるならアカペラグループで、一人だけずっと微妙に音を外し続けている人がいるようなものだ。そこで本曲では、泣く泣く笙のピッチを上げることにしたのだった。

このようにして完成した『井戸水』であるが、学園催で「雅楽・怪奇」といえば、実はもう一つの楽曲が存在するのをご存知だろうか?
それはアルバム『陰陽師』の、CD版にのみ収録されているボーナストラックである。陰陽道や神道などの儀式をイメージして作曲したもので、律音階に則り和楽器で奏されている。鳳笙が登場する場面もあり、『井戸水』と共通した音世界を感じていただけるだろう。

不気味なものや異様なものは、魔を退けるものとして祀られる風習が太古の昔からある。私はこの二曲にも魔除けやお祓いの効果があると考えており、定期的に聴くことで心や場を浄化している。正に、おまじないを伝える本学園の理念に適った使い方である。リスナーの皆様にも、カーステで大音量で流すなど有効活用されている方もいらっしゃるようで嬉しい限りである。

さて、まだまだ書き足りない気はしているのだが、ここで筆を置こうと思う。元々メインで書こうとしていたのは、第1回と第2回あたりで述べた、作曲当時の「ありきたりな風潮に対抗したい。怪奇な表現を爆発させるぜ!」というチャレンジ魂だったのだ。雅楽についてはサラっと書くだけのつもりでいた。ところが蓋を開けてみれば、こちらが本題としか思えない熱量、文章量ではないか。自分でも「何だコレは!?」と思える程だ。
もしかしたら、これこそが、まさしく怪奇曲『井戸水』の呪術的な力だったのかも知れない……。(完)

次回更新は 8月27日(金)

2021年6月25日

楽曲解説 『井戸水』 第4話 - 共鳴

前回に引き続き、雅楽のお話である。
伝統文化全般に言えることだろうが、現代では雅楽に興味を示す人は決して多いとはいえない。
だが今でも、大阪・京都・奈良界隈には、古来からの由緒ある演奏組織が点在している。古都ゆえ大規模な寺院・神社も多く、演奏される機会が多かったためであろう。
だが新規の若手奏者は不足しているのが現状で、そんな中、とある雅楽の演奏団体からお呼びがかかったのだ。学園催や過去のバンド活動などを含めた、私の様々な音楽経験を見込んでのことだった。

だが正直なところ、雅楽はポップスとはかけ離れた世界であり、ガツンと来る刺激的な表現をしたい私としては、最初はあまり気が乗らなかった。雅楽には地味で大人しい印象を持っていたし、格式を重んじて融通のきかない在り方も敬遠の一因だった。
しかしその一方で、雅楽の現実離れした世界観や、陰陽師、呪術を連想させる雰囲気には何か惹かれるものもあった。また日本の伝統を受け継ぐことも大切だという気持ちもあったので、少しでも役に立てればと思い始め、一念発起して加入することにしたのだ。そんな経緯があり、『井戸水』の作曲当時の私は、地域の神事や葬儀等で演奏活動を行っていた。

私の担当楽器は、管楽器の一つ「鳳笙(ほうしょう)」である。簡単のために、笙(しょう)と呼ばれることが多い。これは特殊な楽器で、雅楽の中でも特に成り手が少ない。笙、と言われても最初は私も全くピンと来なかったが、その音色は多くの人にとって聞き覚えがあるだろう。こちらの動画は笙の独奏である。

参考動画 - 【雅楽 笙】壱越調 調子 三句 / 笙奏者 大塚惇平

お聴きのとおり、神秘的な音色を奏でる楽器だ。私は以前からバッハのパイプオルガンの楽曲が好きでよく聴いていたのだが、響きに共通したものが感じられ、一気に好きになった。
鳳笙の外観は、17本の筒状の竹を円形に並べたかたちになっている。いわばパイプオルガンを小型化してポータブルにしたような楽器だ。実際、鳳笙はパイプオルガンやアコーディオンの原型ともいわれている。それぞれの筒にはリードという部品が装着されており、筒に空気を送り込むことでリードを振動させて音を出す。この原理はいずれの楽器でも共通しているのである。

なお歴史的な経緯から、現行の笙では音が出るのは17本のうち15本で、2本の竹は無音となっている。これらの竹のうち通常5~6本を同時に鳴らし共鳴させることで、あの不思議なサウンドを作り出す。
竹の組み合わせは11通りあり、「合竹(あいたけ)」と呼ばれる。「乞・一・工・凢・乙・下・十・十(双調)・美・行・比」という具合に、漢字で表記されるのだが、これらの文字が並んだ譜面は、楽譜というより呪符の様相を呈している。

参考動画 - 日本 笙(雅楽) 合竹の名前

合竹は、西洋の音楽理論でいう「コード」「和音」に相当するが、どれも特異な響きで、普通のポップスでは到底使えるものではない。だが普通ではないポップスを目指していた『井戸水』にとっては、この現実世界からかけ離れたような幽玄なサウンドが最適だったのだ。 

コードに劣らず奏法も独特だ。まず一つの小節の出だしは小さな音量で吹き始め、小節の末尾に向けて段々と大きくしていく。その小節の最後の拍の頭で最大音となり、直後に音量をやや減衰させ、大き過ぎず小さ過ぎずの絶妙な音量を保ちながら次の小節に入る。これを基本パターンとし、曲中で延々と繰り返す。曲の開始から終了まで、一時も途絶えることなく鳴らし続けないといけない。

管楽器を演奏したことがある方なら、ここで一つ疑問が浮かぶかもしれない。
「息継ぎはどうするの?」
実は笙のそれぞれの竹は、息を吹き込む際も吸い込む際も同じ音程で鳴るようになっている。なので厳密には息継ぎという概念がない。ただし、息を吹くか吸うかはこと細かに楽譜に記載されているので、自分の好きなタイミングで吸ったり吐いたりできるわけではない。
例えば、1小節目はまるまる吹き、2小節目はまるまる吸い、3小節目も続けてまるまる吸い、のように指定されている。演奏中、吸って吸って「もうこれ以上吸えない!」という時も、譜割りによっては更に吸わなければいけない場合もある。逆に、吹き続けた後、「今吸いたい!」となってもまだ吹き続けるよう指定されていることもある。嫌がらせのような譜割りだが、その通りに演奏しなければいけない。これは結構キツい。

まあそんな内情はともかくとして、途絶えることのない一貫した流れの中で、音量を徐々に微妙に変化させ続けるという芸の細かさにより、曲全体を神秘のオーラで包み込む。笙の音色は「天空から降り注ぐ光」と形容されることがある。まさしく太陽光が地球全体を遍く包み込み、全生物を育成させる天の恵みであるように、笙も空間を隅々まで満遍なく埋めるが如く、途絶えさせないのが特徴である

では改めて、笙の音色にも留意しながら『井戸水』をお聴きいただきたい。曲が始まって6秒後に笙の演奏が始まり、Cメロやブレイク箇所を除くほぼ全ての場所を通じて鳴っている。繰り返される音量変化のため、笙の音がよく聞こえる箇所や殆ど聞こえない箇所が存在し、曲全体に絶妙なゆらぎを与えている。

分かりやすくするために、他のコード楽器等を省いたバージョンもご用意した。機械合成ではない生感の漂う、微妙な共鳴音を感じていただけるだろうか。

このように、鳳笙は実に特殊な楽器であるが、その音は特段目立つわけではない。この密かに鳴っている様が、『井戸水』の妖しい雰囲気を高めることに貢献したと感じている。つづく


次回更新日は 7月30日(金)

2021年5月28日

楽曲解説 『井戸水』 第3話 - 伝来

さて今回は、全面的に「雅楽」のお話である。
 「うーん雅楽ねえ、あんまり興味ないんだけど。」
という方々もいらっしゃるだろうが、ここは学園であり知見を広める場でもあるので、ぜひご一読を頂ければと思う。

日常的に耳にする機会はさほどないが、神式の冠婚葬祭や映像作品のBGMなどでお馴染みの雅楽。
だが多くの日本人はその正体を詳しくは知らない。近いようで遠い、不思議な立ち位置ゆえ、実は勘違いされている面もある。

先ずはその発祥である。一般的には、雅楽イコール和風、というイメージで捉えられているが、実は東南アジア諸国が起源だといわれている。そこから中国、朝鮮を経て日本へと渡ってきたという説が主流である。 その後は、古来から伝わる歌や舞と融合し練り上げられ、日本独自の高度な芸術へと進化を遂げた。10世紀頃には、現代に伝わる形が完成されたとされる。

このため、よく聴いてみれば、その出自と思われる片鱗が垣間見られる。
雅楽の編成は、西洋のオーケストラと同様、管楽器・弦楽器・打楽器から成る。 管楽器には三種類の楽器があるが、極端な話、この三つが揃うだけで、歴とした雅楽の演奏が成立する。実際、葬儀の場などスペースの都合で全ての楽器がセットできない場合は、管楽器のみの演奏となるのだ。
弦楽器は主に装飾的に用いられ、細かい旋律や分散和音により、日本的で雅な情緒を醸し出す役割を担っている。

これに対し、メインの管楽器では基本的にあまり激しい音程変化は現れない。ほぼ同じような音程が何小節も続くことが多く、ここが他の和楽とは一線を画している点なのだが、実は東南アジア方面の伝統音楽にも同様の構成がみられる。私はこれらのサウンドから力強い魂の叫びのようなものを感じるのだ。同種の感動を得ることができる日本の雅楽と東南アジアの伝統音楽、そこには共通のルーツが偲ばれる。

また、もう一つのありがちな誤解についても言及しておきたい。
現代の雅楽は、神事での演奏を耳にすることが多いため、神道専用の音楽だと思われがちなのだが、実はそういうわけでもない。そもそも雅楽は仏教文化の伝来と共に伝わったとされており、主に仏教の儀式で奏されていたのだ。
雅楽の起源とされる当時の東南アジアには敬虔な仏教国が多く、経由地の中国や朝鮮もまた仏教が盛んな国であった。やはり仏式の音楽であると考える方が自然だろう。日本に伝わった仏教は、神仏習合という思想のもとに日本古来の神道と交ざり合い、その結果、神道にも雅楽が持ち込まれたという順番が妥当ではないだろうか。

やがて明治の神仏分離政策により、雅楽は神道へと引き取られていった形になっているが、現代でも、聖徳太子が建立した四天王寺をはじめ、雅楽が演奏される仏教寺院はいくつか存在する。


さてここまで、雅楽のあまり知られていないであろう由来や側面を紹介してきたが、これらは諸説ある中の一部、または個人の見解に過ぎない。遠い昔の出来事ゆえ、憶測と謎に包まれているのだ。だがひとつ明確に言えるのは、とても宗教色が濃い音楽であるということである。私にとって雅楽とは、神秘、霊妙、冥想的といった雰囲気を感じさせる不思議な音楽なのだ。

尚、かなり話が壮大になってきているが本稿は、『井戸水』の楽曲解説の一部である。念のため。
次回からは、本歌曲と雅楽にはどのような関わりがあるのか、そして雅楽器の仕組みや奏法についてもお話していきたい。

つづく


次回更新予定日は、6月25日(金)

2021年4月30日

楽曲解説 『井戸水』 第2話 - 変貌

本来、親しみやすい和風トランスポップになる筈だった『井戸水』。
これを如何にしてホラー系のサウンドに変えていったのか、実際に行った工程をいくつか紹介する。

先ずはメロディの改変だ。Aメロとサビを無表情で棒読み的な作りにした。音階はヨナ抜きなどの馴染みのあるものから、古典的な律音階の方向にシフトし、音程変化も少なくした。
ホラー映画において、西洋では、「ワッ!!」と脅かして恐怖を掻き立てるものが多いが、ここでは日本式の、す~~っと、静かに密かに忍び寄る霊のようなものを表現するようにした。

次にコード(和音)だが、Cメロ(1:35-)を除くほぼ全域において、コードネームが付け難く、ポップスでは滅多に使われない進行となっている。主に半音階で移動し続け、威圧感や恐怖感、不可解な印象を与える効果がある。この技法は通常、メタル音楽のリフや、ホラー映画やビデオゲームの緊迫した場面など、特殊な効果を狙う場面でのみ使われるのだが、本曲ではそれが延々と鳴り響く。この時点でもう、ポップスともトランスとも認識しがたい曲調になってくる。

また、変拍子も随所に取り入れた。特に間奏部分(1:23-)では、ドラムは4/4拍子を淡々と刻むが、他の楽器は変拍子の譜割りで演奏している。こういったリズムの実体が掴みにくい複雑な構成により、聴く者を現実離れした感覚へと誘う。

そして効果音も数多く使われている。
和太鼓やお寺の鐘をイメージした音により和風ホラーの風情を演出しているが、加えて、曲中あまねく挿入されているのが「人間の声」だ。不気味な笑い声、呻き声、わらべ歌の女声、そして重々しい呪文の男声など。実は全て私が演じている。以前、実際のお化け屋敷でスタッフをやっていた経験があり、雰囲気作りに一役買っているのかもしれない。


さて、このようにして完成した本歌曲であるが、既発表曲とのギャップに「何だこれは」と困惑された方もいらっしゃるのではないだろうか?
だがこの曲もまた、本学園の理念の一端を担っているのだ。
人は非現実的で異様なものを体験し恐怖を感じることで、日常を忘れ、不安から解放されるという側面もあると思う。ホラー映画を観たり、お化け屋敷に行ったり、絶叫マシンに乗ったりした後の爽快感や達成感も同様であろう。
「頭の中を空っぽにし、音世界に没頭する」ことで、明日への活力へと生かしていただきたい。

ところで、先程のホラー化工程紹介では述べていない、最後の極めつけともいえる重要なものがある。
それは『雅楽』である。我々日本人に馴染みのある音楽ではあるが、まだ詳しく知られてない部分や勘違いされている部分もあると感じている。
そこで次回以降は、この雅楽の正体、および本曲との関連について語っていこうと思う。


次回更新予定日は、5月28日(金)

2021年3月26日

楽曲解説 『井戸水』 第1話 - 解離

作曲開始 2003年
Key=G♭マイナー

『キュートで ポップ、ほんのり ダーク』
これは、あるリスナーさんによる本学園の世界観の描写である。
私自身が想い描いたイメージが的確に言語化されており、とても気に入っている。実際のところ学園催の歌曲は、ほぼ全てがこの一節に沿った仕上がりになっているのだ。

ところが、このイメージから著しくかけ離れた曲が一つ存在する。
それが今回解説する歌曲、『井戸水』である。


一聴すれば、この異質さがお分かりいただけるだろう。「ほんのり ダーク」 どころの騒ぎではない。
だがメロディそのものには、実は結構キャッチーな部分もある。また、日本古来の音階で構成されているので、わらべ歌のような親しみやすさもある。
しかし曲調に関しては、ポップやキャッチーなどといった要素はかけらもない。異様そのものである。

なぜここまで、メロディと曲調が解離してしまったのだろうか?
実は作曲当初は、曲調もポップなイメージで作り始めていたのだ。歌曲『放課後』のようなトランスのビートを基調とし、その上に和風のメロディーを乗せていく予定だった。

一口に「トランス」と言っても、そこから更にジャンルは細分化される。中でも私が好きなのは、「プログレッシブトランス」である。特徴としては、トランス曲で多用される派手で毳毳しい音色はあまり使われず、基本的に無機質な音色とミニマルな効果音から成る。ダンスミュージックに特化せず、部屋でじっくり聴き込むという要素も持ち合わせている。
私の初期の構想としては、プログレッシブトランスのクールさを基調とし、和風情緒を取り入れつつポップなサウンドにまとめ上げるというものだった。
ところが完成してみれば、お聴きの通り。当初の計画とは全く違う仕上りになっているではないか!
一体何が起こったのだろうか。

その背景として、本曲をを制作していた頃の音楽シーンがあった。
コンピューターを使った音楽制作が一般に普及してきた時期で、インディーズアーティストが活躍できる場である音楽配信サイトの黎明期でもあった。
その中でも、日本最大の規模を誇ったmuzieという名のサイト(現BigUp!の前身)では、特にトランスミュージックが大盛況だったのだ。初心者でもとりあえずトランスを作って投稿すれば再生数が稼げ、ランクインするという事が頻繁に起こっていた。それらの曲中で奏でられるシンセサイザーを駆使した煌びやかな音色は私の心を掴み、この華やかなジャンルが盛り上がりをみせていることに相当ワクワクしたものである。自分も和風ポップなトランス曲を発表して、このブームに参加するぜ!と意気揚々としていた。

しかし、ランキングに並ぶ数々の作品をじっくり聴いているうちに見えてきたのは、これらはサウンドこそ派手ではあるものの、楽曲の構成としては凡庸であったり、作り込みが足りていなかったりするものが多くを占めているということだった。似たような曲がひしめき合っているこの状況に苛立ちすら覚えた。同時に私が抱いたのは、もしこのままの計画に沿って聴き易いポップなトランス曲を発表したところで、有象無象な曲たちの渦の一部になってしまうのではないか、という危惧であった。

ならばいっそ曲調を一変させて、おそるべき異次元的なサウンドを創り出し、このありきたりな流れに一石を投じてみるのはどうだろうか?というような考えをを巡らせ始めた。
そう、この時から、歌曲『井戸水』は異界に入ることとなったのである。

つづく

次回更新予定日は4月30日(金)

2021年2月25日

楽曲解説 『新学期』 第3話 - 贈与

あまり言いたくはないが、実は私はフォークギターがあまり好きではなかった。

それは、私がロックに魅了された最大の要因が、エレキギターのディストーションサウンドだったからだ。刺激的で未来感があり、これこそが俺が目指すべきサウンド!という気持ちで一杯だった。ロックを彩る絶対王者としての風格。だからあの頃は、ディストーションで奏でられる楽曲以外は音楽と認めない、とすら思っていたのだ。

もう一つには、個人的にはフォークギターの音色が、昭和の古びたフォークソングを連想させたということもあった。無論そういう世界観を否定してる訳ではない。むしろ日本が誇る文化の一つであると感じている。だがフォークギターによる弾き語りには、自分好みの威勢の良さや爽快さを見出すことは難しい。
当時は、そういった理由でフォークギターを敬遠していた。

だがそんな私も数年かけて、フォークギターの良さを徐々に知ってゆく。
最初のきっかけとなったのは、あるハードロックバンドによる全面アコースティックのバラード曲を聴いた時だ。そのバンドはエレキギターによる技巧的な演奏を売りにしていたので、このギャップには衝撃を覚えた。そして、そもそもがテクニカルギタリストの楽曲なので、フォークギターを使っていながら、その随所に従来のフォークソングとはひと味違うニュアンスが垣間見えたのだ。抜けが良く華やかな音色、そしてギターソロ。「ああ、こういうのも良いね♪」と素直に感じたのを覚えている。

その後自分自身でも演奏する機会があり、地味なイメージを持っていたフォークギターも、使い方や演出の仕方を少し変えるだけで随分印象が違ってくることに気付かされた。
フォークギターには、自然さや独特の深みがあり、他の伴奏に埋もれないのに、歌を邪魔しないという絶妙な性質がある。これはフォークギターにしか出せない音世界だ。エレキギターもクリーントーンにすれば、バラードでも使える静かなサウンドを奏でられるが、残念ながらこの点では及ばない。

他にも、フォークギターには優位性がある。それはエレキギターのように大掛かりなセッティングが要らないということだ。アンプもシールドも電源もエフェクターも、一切不要。
何処でも手軽に、ちゃんとした演奏が再現出来る。小規模なパーティーやストリート等、人前で軽く演奏したい時、また部屋での作曲時にもそれなりの演奏が直ぐ行えるのだ。これは大きなメリットである。
勿論、レコーディングの本番でも上質な音を奏でてくれる。
コンパクトなのに、機能的で効果大。エレクトリックを主体に演って来た私には、とても有能で優秀な楽器に思えた。

更に近年でも、特筆すべきことが起こっている。フォークギターを使っていながら、スラップ奏法やパーカッシヴな技法を駆使した超ハイテクな奏法でインスト曲を奏でるスーパーギタリストの登場だ。かつては歌の伴奏役としか捉えられていなかったのが主役の座に君臨する存在となり、フォークギターの既成概念が根底から覆されてしまった。そこにはもう、古くささなど微塵もない。最新鋭の楽器とすら言えよう。

このように、フォークギターに対する私の意識は驚くほどの変化をみた。とはいうものの、自ら購入するまでには至らなかった。やはり自分たちが演奏するジャンルはハードロックやテクノであって、アコースティックとは対極を成すといえるからだ。フォークギターへの理解は深まれども自分の管轄ではない、という認識だった。
だから学園催でも、アコースティックのギターを使うという意向は全く持たなかったのだ。

だがそんな中、とある方からフォークギターを頂戴するという幸運に恵まれた。
その方からは、それまでも学園催の歌曲を愛聴頂き、また色々と勉強になるコメントやアドバイスも頂いていた。
人生の先輩として仰ぐその方から楽器まで授かったことで、ついに思い切って『新学期』で採用してみようという気になった。「ここらで一度、フォークギターを使ってみなさい」という神からのメッセージではなかろうかと受け止めることにしたのだ。

長年の作曲人生を通じても、自分の作品でフォークギターを使ったのはこれが初めてだ。しかもこのようなテクノ感・ハードロック感全開の歌曲で採用するとは思ってもみなかったが、それも学園催らしさの一つかもしれない。曲のメインで奏でられる電子音やディストーションサウンドとの相反するギャップが、なかなか良い効果を生み出しているのではなかろうか。

なおこの贈られたフォークギターは、後の歌曲『井戸水』でも彩りを添えている。本学園において、最も異質といえる『井戸水』だが、次稿からはその誕生の物語を綴るとしよう。(完)


次回更新予定日は3月26日(金)

2021年1月29日

楽曲解説 『新学期』 第2話 - 構成

第1話で述べたように、新学期とは私にとって、複雑な思いを抱かせるものであり、また、そこからの気付きも得られるものだった。
成長・進化する為には、面倒な壁を乗り越える過程が必要だ。
時には不慣れな事に挑戦すれば、眠っていた能力が活性化し、自らを向上させてゆく。

歌曲『新学期』はこういった思いを込め、本学園の作品の中でも特に多様な要素から構成されている。今回は、活発に新陳代謝する細胞のようにめまぐるしく変化していく曲の構成について少々解説したい。


本曲では様々なジャンルを取り入れることにより、「環境の変化」を表現している。テクノ、ハードロック、アンビエント、そしてポップサウンドと、概ね四種類のサウンドが一曲の中で奏でられる。
テクノとロックを融合させるスタイルは、『修行僧』や『河原町』等でも採用している、いわば学園催の定型だが、今回はそこにアンビエントが加わり、コントラストをより際立たせている。

イントロ前半はテクノサウンドから始まり、突如ハードロック調に取って変わる。歌が始まるAメロではテクノサウンドに戻り、Bメロではまたハードロック。これは環境や心境が移り変わる様子を表現している。
ハードロックの箇所で鳴っているギターは、敢えてアンプ録りにした。フェンダーのかなり旧型のアンプを使い、「生感」というか、古風な、空気感のある音作りをしている。今回の題材である小学校生活に思いを馳せ、あの時代の純粋な気持ちに立ち返りたいという意図がある。

間奏では一転して、不思議な異空間に迷い込んだような世界が展開する。
一般に、賑やかな曲調の間奏といえば、華やかなギターソロ!が定番であるが、今回は敢えてアンビエントを採用した。スピード感を一気に落としたリズムの上に、静寂でホラーなひと時が展開する。この緩やかなリズムが象徴しているのは、校庭でぽつんと一人、ブランコに揺られている児童だ。チャイムが鳴り、「起立、礼…」の号令がかかる。もう授業が始まる時間だ。なのに児童はまだ、校庭のブランコで遊んでいる。変化する環境になかなか馴染めない疎外感や、気持ちの浮き沈みから来る心象風景でもある。

サビと間奏後のCメロは、一般的なポップサウンドだ。特にCメロは、アンビエントな間奏から再度、賑やかなバンドサウンドに戻る前の助走としての役割がある。
そしてこれらのパートでは、学園催としては異例のアコースティックギターも登場する。実は私は、本学園の歌曲に於いて、アコースティックギターの演奏は一切しないでおこうと考えていたのだ。 では、なぜ今回採用するに至ったのか?
次回はその経緯をお伝えする所存である。

(つづく)

次回更新予定日は 2021年2月26日(金)