2022年3月25日

楽曲解説 『走馬灯』 第3話 - 催眠

『走馬灯』の解説は今回で完結となるが、最後に、楽曲と共に制作したミュージックビデオについても少し触れてみたい。

一般に、アンビエント・環境音楽といわれるものは、どちらかといえばリラックス、マスキング、或いは治療目的などで聴かれることが多い。通常のポップスとは異なり、「楽しむために聴く」というよりは、実用的な使われ方が多くなるジャンルである。
本曲でも、そういったニュアンスが色濃くなっている。

では、このような音楽がリラックスや癒しの効果を持つのはなぜだろうか。
要因は様々だろうが、その一つとして挙げられるものが「催眠」である。

催眠状態とは具体的にどのようなものか。まず、理性が抑えられて暗示にかかりやすくなる。リラックスしたり、恍惚感が高まったりすることも多い。このとき人は、現実的なことやネガティブな事を考えにくくなる。また、副交感神経の働きが交感神経よりも優位に働きやすくなり、その結果、心身の様々な症状において好転が見込まれるといわれる。

このような状態に入る方法として、一つには単調なリズムや持続音を聴き続けるというものがある。
例えばトランスミュージックでも、その単調で定期的なビートにより催眠誘導が起こり、いわゆるトランス状態に導く効果があるといわれている。事実、トランス音楽のライブ映像を見ると、観客はみな没入・陶酔し、狂喜乱舞している。凄い威力である。参加者が一斉に、何かに憑りつかれたように恍惚状態に達しているのだ。

しかし実際のところ、単調なリズムを聴かせるだけで、本当に催眠状態に導けるものだろうか。
いや、これはさすがに難しいと考える。
確かに世の中には、催眠にかかりやすい人も一定の割合で存在するので、音楽を聴くだけで本当に催眠にかかってしまう人もいるかもしれない。だが、大多数の人はそうはいかない筈である。
テレビ番組でよくある催眠術の企画も、その殆どは申し合わせた演出だといわれる。催眠術にかかったフリをしているか、もしくは編集により、催眠にかかりやすい人の映像を抜粋しているケースが多いようだ。

もし仮に、誰もが簡単に催眠術にかかってしまうのであれば、すぐに悪用されてしまうだろう。世の中は今頃、かなり大変なことになっている筈だ。だが現実は違う。100%不可能とまでは言わないが、日常的に乱用されているようには見えない。
つまり、単調な音楽を聴かせることで容易に催眠状態にて、他者をコントロールするといったことは、ドラマや映画の中だけの出来事なのだ。それが妥当な答えであろう。

では環境音楽によって得られる癒し効果や、トランス音楽のライブで見られる集団催眠的な現象は、どのようにして起きるのだろうか。
ここで一つ、興味深い事例を紹介する。

時は18世紀の後半、ヨーロッパにメスメルという医師がいた。彼はまるで魔法のようにあらゆる病を治してしまうというのだ。これは現代医学における催眠療法にあたるとされる。その手順は次のようなものだ。
診察室に全患者を集め、神秘的で単調な音楽を流す。室内を薄暗くして、患者たちの意識が少し虚ろになってきたところで、豪華な服装に身を包んだメスメルが優雅に登場する。患者の意識は更に朦朧となってゆく。
メスメルは踊りながら、一人一人の患者を診て回り、手当てをする。全員への処置が完了するとメスメルは退場し、やがて音楽が止まる。
すると患者たちは平常時の意識に戻り、その時点で症状が全て治癒している、というのだ。

実はこの手法は、いわば催眠の教科書ともいえる王道的なものだ。ここでは「権威」が一つの鍵となっている。医師と患者の間に信頼関係が形成されており、これが催眠をかける大きな手掛かりとなる。
また、メスメルが活動していた頃はまだ、呪術や儀式の効果も素直に信じる古き良き時代であった。多くの人々が、暗示にかかりやすい素地を持っていたともいえる。

さて、ここで重要な点がある。それは、メスメルは音楽の力だけで人々を催眠状態に導いているわけではない、ということだ。環境の助けを借りている面が多々ある。薄暗い室内、豪華な服装、優雅な舞踊など、非日常的な空間に患者を置くことで、現実感の低下を促しているのだ。

それでは、トランスミュージックのライブについてはどうだろうか。
やはりこちらも、音楽以外の様々な演出や仕掛けが存在する。
会場の閉鎖性、色とりどりの夥しい照明、そして何より、大人数で同じビートに没頭する環境がある。こういった場面では群集心理が働きやすい。音楽のみでは、そこまでの没入・陶酔に至るのは難しいだろう。演出をプラスすることで、人々は別世界へと導かれてゆくのだ。

そこで本曲でも、音楽に加える別要素を取り入れることとした。
つまりミュージックビデオである。特に複雑なものではなく至ってシンプルだが、催眠状態へ導くには適した構成となっている。オープニングでは蛍のような灯が明滅しながら飛び交う。やがて走馬灯をモチーフにした造形が蜃気楼のように浮かび上がる…。

こういった非現実的な演出と、音楽との相乗効果によって、更なる癒しや陶酔へと誘うことを目指した『走馬灯』。今回の解説を踏まえて、いま一度、聴覚と視覚から成る幻想的な世界を味わって頂けると幸いである。(完)

次回更新は4月4日。インスト曲の発表である。
またのご来校、お待ちしている。