2020年5月22日

楽曲解説『第六感』 第3話 - 編曲

『第六感』最終話となる本稿では、編曲について語ろうと思う。

第1話で述べたように、かつて所属していたバンドでは、テイストに合わないということで冬眠を余儀なくされた本歌曲。だが時々思い出しては、アレンジのアイデアなどをノートに書き留めていた。「元々のハードロックな曲調から、ここをこう変化させたら面白いかも」、といった内容である。
2017年頃には、テクノポップに仕上げるという方向性がある程度まとまったので、試しに打ち込んでいるうちに、徐々に形が出来上がってきた。ちっぴが歌うシーンを想像しながら制作を進めていった。

この時の編曲コンセプトは、「よりテクノ色を強めるため、ギターの生演奏は入れずに全て打ち込み楽器のみで完成させる」、というものであった。本来、テクノというジャンルは、特に意図がない限り、生楽器は入れずに打ち込みだけで完結させるのが主流だからだ。
ただし私はバンド出身者なので、伴奏にはギターを入れるのが当たり前という感覚がある。しかし今回は敢えて、この「当たり前」を打ち破り、新たな境地を切り拓いてみるのも良いのではないかと考えた。
つまり、得意のギターを置いて、純粋なテクノサウンド作りに挑むことにしたのだ。これは本学園としては稀な形式となる。現時点においてギター演奏が入っていない歌曲は、アルバム『陰陽師』に収録されている『出町柳』のみである。

ただしこの曲のアレンジは、アルバム内の一曲ということを前提としたものだった。12曲の中の一つなら、ギター無しの曲も、全体の流れに変化を付けるという意味で成立しやすくなる。だが単独でリリースする曲の場合、 また話が違ってくるのだ。
シングル曲においてギターを入れないのなら、それを補うべく音数や音色の彩りが重要となってくる。今回は、本格的かつ純粋なテクノ楽曲を作るのだ!という意志と覚悟のもと、アレンジを進めていった。
数日後にはある程度、イメージ通りのものが出来上がってきた。そこには煌びやかでエレクトリックな世界が広がっている。「これは良いものが出来た!」とその時は思っていた。これなら、ギターが無くとも聴き応えのある歌曲を作っていけそうだ。今後もなるべくこのスタイルを精力的に取り入れていこう、とも考えた…。

しかし、このアレンジをちっぴに聴いてもらったところ、根本的な指摘があった。それは、「確かにエレクトリックで夢のあるサウンドだが、派手で音数も多いため、一番肝心の歌が聞こえにくくなると思う」というものだった。
なるほど、確かに本作は歌ものである。「歌を聴かせる」のが大前提だ。だがこの編曲だと、インスト曲として聴くなら良いだろうが、明らかにボーカルの邪魔をしていた。
どうやら、 「ギターを入れずとも聴き応えのあるものを作ってやる!」という意気込みが強すぎて、過剰に作り込んでしまったようだ。本来テクノというものは、ボーカルではなくサウンド全体で聞かせるのが目的となるので、音数が多く煌びやかなアレンジがそのままプラスに働く場合が多い。だが歌ものとなると、そうはいかないのだ。

ひとまずの対処としては、アレンジは変えずに各種エフェクトをかけることで、何とか改善できないか試すことにした。だが歌の邪魔となる要素は依然として残り続け、音色を差し替えてもみたが、しっくり来ない。
そこで最終的には、伴奏のメインとなっていたパートを廃止して、普通にギター演奏を入れる事になった。気合を入れて打ち込んだパートなので未練はあったが、ともかくギターフレーズを作り、レコーディングしてみた。
そうして出来上がったものを聴いて驚いたのは、生演奏に切り替えただけで、何とも自然に歌が聞こえてくるようになったということだ。更に、ギターの生演奏という粗削りで人間味のあるテイストが、他のエレクトリックな楽器と融合して、実に学園催的なサウンドになっているのだ。

「ああ、やはり学園催の歌曲は、こうすべきなんだな」と改めて初心に還るような気持ちになった。もちろん新境地の開拓は大切ではあるが、変えてはならない部分もあるのだと気付かされた。
私は元々生バンドで活動していた人間だから、曲作りの際にもやはり、「生演奏」は外せない何かがあるのだと思う。コンピュータを駆使する打ち込み曲であっても、何かしら生の楽器を入れるというのが、私にとっては自然な状態なのかも知れない。
今回の制作は、生演奏の力、自分本来の曲作り、そして自分らしくある、ということの重要性を再確認し、とても思い出深い体験となった。

長きに渡る制作期間と試行錯誤の末、やっと日の目を見た本歌曲。まだまだ話したい事はあるが、本稿ではこのぐらいにしておこう。また話がまとまった暁には、外伝として追記する所存である。(完)


次回更新予定日は 6月19日(金)