2021年7月28日

楽曲解説 『井戸水』 第5話 - 同化

いよいよ『井戸水』の解説も今回で終わりとなるが、ここでは雅楽との関連を述べようと思う。

本歌曲は、雅楽のエッセンスを取り入れた意欲作である。その最大の要素は、前回熱く語った鳳笙の世界観だ。曲中で終始鳴らし続け、音量の緩急を付けながら曲全体を包み込む。

もう一つの要素は、『律音階』だ。これは雅楽などで使われる日本古来の音階である。
現在のJ-Popにも和風テイストの楽曲は多数存在するのだが、その殆どは『ヨナ抜き音階』を基調とした親しみやすいタイプだ。律音階を使った楽曲となると皆無に近い。なぜなら、ヨナ抜き以外の日本音階でメロディを作ろうとすると、ポップスとは呼びがたい仕上がりになるのが目に見えているからだ。だが敢えて『井戸水』では、霊妙な雰囲気を演出するために挑んだ次第である。

では逆に、本曲に取り入れることが出来なかった雅楽の要素とは何か?
細かいことをいえばキリがないが、ここでは大きなものを二つ挙げておきたい。

一番には、雅楽特有のテンポの緩急がある。
もちろん雅楽でなくとも曲の速さが変わることはある。ただし、曲中の特定の部分でテンポの変化があるとしても、残りのほとんどの部分では一定の速さで演奏される。
いっぽう雅楽の緩急の付け方はかなり特殊である。何と各々の小節ごとに、最後の拍(通常は4拍目)が間延びするのだ。間延びした後は、演奏者全員がその場でのフィーリングで呼吸を合わせ、次の小節に一斉に入って行く。日本人特有の「間」とでもいうべきか、実に感覚的な奏法だ。
それゆえ練習の際も、楽器の練習では必須ともいえるメトロノームが使えないのだ。

もし仮に、一般的な西洋音楽でこの奏法をやってしまうなら、相当聞き辛くなる。というか聞けたものではなくなるだろう。ところが雅楽に於いては、それが情緒や趣きを感じさせるのだ。独特の世界観である。

このようなテンポの緩急を『井戸水』に取り入れるのは、さすがに無理があった。本曲が基調としているのは、常に一定のリズムを刻むのが身上のトランスだ。ドラムを一定のテンポで発音させないと収拾がつかなくなる。異様というより異常な楽曲になってしまう!
なのでせめて、変拍子や変則的なタイミングで入る琴のフレーズなど、ランダム感のある表現を多めに入れることで、異次元感を賄ったのだ。雅楽の緩急には到底及ばないが、十分普通のポップスではない仕上がりにはなっただろう。

さてもう一つ、取り入れられなかった要素といえば、雅楽の調律である。
現代では、チューニングの際に「A(ラ)」の音高を440Hzに合わせるのが国際標準となっている。ポップスやロックなどのほとんどの曲においても440Hzになっている。
ところが雅楽では、「A」を430Hzに合わせるのだ。440Hzの「A」よりも低い。どれくらい低いかというと、「A」と「A♭」の中間くらいだ。この調律で鳴らす鳳笙の音色はとても趣深いものなのだが、440Hzで作られた曲の中に放り込むと、たいへん聞き心地が悪くなる。喩えるならアカペラグループで、一人だけずっと微妙に音を外し続けている人がいるようなものだ。そこで本曲では、泣く泣く笙のピッチを上げることにしたのだった。

このようにして完成した『井戸水』であるが、学園催で「雅楽・怪奇」といえば、実はもう一つの楽曲が存在するのをご存知だろうか?
それはアルバム『陰陽師』の、CD版にのみ収録されているボーナストラックである。陰陽道や神道などの儀式をイメージして作曲したもので、律音階に則り和楽器で奏されている。鳳笙が登場する場面もあり、『井戸水』と共通した音世界を感じていただけるだろう。

不気味なものや異様なものは、魔を退けるものとして祀られる風習が太古の昔からある。私はこの二曲にも魔除けやお祓いの効果があると考えており、定期的に聴くことで心や場を浄化している。正に、おまじないを伝える本学園の理念に適った使い方である。リスナーの皆様にも、カーステで大音量で流すなど有効活用されている方もいらっしゃるようで嬉しい限りである。

さて、まだまだ書き足りない気はしているのだが、ここで筆を置こうと思う。元々メインで書こうとしていたのは、第1回と第2回あたりで述べた、作曲当時の「ありきたりな風潮に対抗したい。怪奇な表現を爆発させるぜ!」というチャレンジ魂だったのだ。雅楽についてはサラっと書くだけのつもりでいた。ところが蓋を開けてみれば、こちらが本題としか思えない熱量、文章量ではないか。自分でも「何だコレは!?」と思える程だ。
もしかしたら、これこそが、まさしく怪奇曲『井戸水』の呪術的な力だったのかも知れない……。(完)

次回更新は 8月27日(金)