2020年1月3日

楽曲解説 『清水寺』 第1話 - 動機

作曲開始 1996年
Key = F#マイナー


これから数回に渡り、歌曲「清水寺」が出来た経緯についてお話しする。かなり昔の事にも言及するので、令和の時代からすれば、想像がつかないようなことも多いかもしれない。そこは温故知新・または未知への遭遇といった気持ちでご一読いただければ幸いである。

清水寺の作曲を開始した頃、1996年~98年の音楽シーンでは、ヒット曲と並行する形で、日本でもテクノやトランス等のジャンルが盛んになっていた。様々なダンス系のオムニバスアルバムも多くリリースされ、華やかに時代を彩った。私もその盛り上がり具合は好きではあったが、単に流行りに乗っただけの作品も多かった。それらはダンスフロア等で流れる分には最適だったかもしれないが、私は、じっくりと聴き込めるようなダンス系サウンドを求めていた。

しかし、探せど見付からない。
無いものは自分で作るしかない。
そこで、「自室で集中して世界観に浸れる」ことに特化したダンス楽曲の制作を始めることとなった。

その当時、私は普通の4人組ロックバンドで活動していた。
「清水寺」はお聴きの通り、打込系・四つ打ちタイプなので当然、ロックバンドで演奏出来るタイプのものでは無かった。せっかく作ってもそのバンドでは演奏されることはない。しかし、テクノを作りたい!と言う情熱は抑えられず、今思えば、まだテクノを作れるような環境が整っていない状況から作曲を開始した。
コンセプトとしては、通常は西洋的な要素を持つダンス曲に、東洋風の旋律を基礎とし、歌詞も漢字の音を主体としたものを取り入れると面白いのではなかろうか、と思い立ち、そこからスタートした。


[第2話につづく]
 次回更新予定日は、2020年1月17日(金)