2020年11月27日

楽曲解説 『映写機』 第3話 - 想像

歌曲『映写機』の最終回は歌詞について語ろうと思う。
曲そのものは1997年に完成したのだが、歌詞はその二年前から書き始めていた。テーマは「イメージトレーニング」、略してイメトレである。この頃の私は、仏教哲学やヨガ、瞑想への出会いがあり、師事や独学によって日々研鑽を重ね、精神世界の面で転換期を迎えていた。ヴィジュアル系バンドを組んでいたこの時期に、およそヴィジュアル系とは程遠い世界観に浸っていたのだ。

一般的に「イメトレ」という言葉は、主に二通りの意味で使われているように思う。
一つは、スポーツ選手や演奏者などが、本番前に自分の動きを心の中で思い浮かべることによって再確認する「イメトレ」。パフォーマンスの向上が目的となる実用的なものだ。
もう一つは、いわゆる「引き寄せの法則」で用いられる、願望を実現させる為に行う抽象的な「イメトレ」で、本曲ではこちらをテーマとしている。

ご存知の方も多いかもしれないが、世間では願望実現に関する自己啓発本が多数出版されている。その多くが「鮮明なイメージを持てば願いが叶う」という系統のものである。
私もこういった書籍に何冊か触れたことがある。かなりスピリチュアルな視点で書かれており、夢があって楽しいものだと感じた。
確かに、鮮明なイメージを持つことには一定の効果はあるだろう。実際、イメージを持たずに何かを実現することは難しい。というより誰しも、事を運ぶ前には必ず、何かしらの想像はしている筈だ。世に出ている多くの啓発本の主旨は、より細部に渡って鮮明に・克明に想像することで、イメージを意識の奥深い領域にまで浸透させ、実現度合いを更に高めるというものである。

時に小説やドラマなどでは、イメージしたことがそのまま実現したりするが、これはあくまで空想の世界の話。我々の住むこの現実世界では、物理的な制約から逃れることはできず、イメージが即、具現化することはなかなか無い。
例えば、「ピザが食べたい」と思ったとする。そこで、部屋から一歩も動かずに「ピザが目の前に現れた」と鮮明なイメージだけをしたところで、実際にピザが目の前に現われてくれる確率は非常に低い。やはり、店に電話注文する、とか、友達に頼んで買って来てもらう等々、何かしらの最低限の「行動」は必要だ。

世間には「イメトレだけで夢を叶えた!」という人達も存在しなくはない。だが彼らも知らず知らずのうちに適切な行動が出来ており、その結果、夢の実現に辿り着いたという経緯がほとんどだろう。鮮明なイメトレは、実現へ向けてのモチベーションが上がったり、適切な判断力が身に付き、成功の確率を高める役割を果たしたと考えられる。やはり行動こそが、願望実現の要である。

【ЖД璃 υф 零δч】×2 times 何からはじめよう
【爬狸υΦ ЯДδёё】×2 times 今すぐはじめよう

思い立ったその時が最適な瞬間
さあ出かけよう
頭の中をグルグル廻る
夢と現実交ぜてスクリーンに映して
これは歌詞の前半部である。
「夢と現実交ぜてスクリーンに映して」、つまり頭の中で描いてるだけではなく、それを現実世界に投影せよ、と。行動に移すことを勧める、積極的で能動的な内容となっている。

一方、後半部の歌詞はこうだ。

【ЖД璃 υф 零δч】×2 times 何からはじめよう
【爬狸υΦ ЯДδёё】×2 times 今すぐはじめよう

自分らしさをそのまま吐き出し
さあ演じてみよう
あたしの中でつくり出す台詞
世間の発言には過剰に反応しないから
こちらは内向的な要素が主体となっていて、思考の重要性について語っている。
物事を実現させるには行動が必要ではあるが、逆に、実現しなくとも構わない事柄ならどうだろうか。夢や目標は必ずしも全て実現させなくて良いのではないか?特に行動に移すこともなく、空想だけを楽しむという世界観も在っていいのでは?というスタンスだ。

「夢は見るものではない、叶えるものだ」という言葉がある。しかし、「夢は叶えるものではなく、見て楽しむものだ」という考え方もアリだと思うのだ。実際叶えてしまえば「何だ、こんなものか」ということも多々あるだろうし、想像してるだけの方が余程楽しめるというものも沢山ある筈だ。何でもかんでも実現させるだけが能では無いと思うのだ。

ただしこれは別に、消極的になれ!と言ってる訳ではない。目標や夢の実現は、自分にとって最重要なものだけに一点集中させ、そこに全ての力を凝縮・活用し、あとの夢は空想として楽しみ、ストレス解消の嗜みに充てるというポリシーも、面白い生き方だと思えるのだ。勿論、空想だけに没頭し完全に現実逃避してしまってはいけない。だが時には、空想に思いを馳せ、癒しのひと時を過ごすのも良いものだ。


次回更新予定日は 12月25日(金)